#989 松山の津①

松山という地名を聞くと、愛媛県の県庁所在地である「松山市」を連想する方が多いと思います。しかし実は、弊社のある坂出市にも、かつて「松山」と呼ばれた地域が存在し、現在も松山校区としてその名をとどめています。そして当地の松山には、かつて讃岐随一といわれた港「松山の津」がありましたが、この事実はあまり知られていません。この港の存在は、すでに「日本書紀」や「万葉集」にも見られ、さらに「松山の津」という呼称自体も、平安時代末期には史料上に登場します。

地元以外の方には関心が薄いかと思いますが、「松山の津」を説明する前に、近世末期から昭和にかけての、松山という地名の沿革を簡単に振り返ります。「阿野郡(あやぐん)」は、古来「阿野郡九郷」といわれ、そのうち林田郷は、現在の西庄(にしのしょう)・林田(はやしだ)・江尻(えじり)の3町を含み、また松山郷は、神谷(かんだに)・高屋(たかや)・青海(おうみ)・乃生(のう)・木沢(きさわ)を含む一帯を総称したものです。後者の松山郷五ヶ村は、のち明治23年2月(1890年)の町村制の施行に伴い、神谷・高屋・青海の3村は松山村となり、また乃生・木沢の2村は王越村としてそれぞれ分村しましたが、いずれも「松山」の名のもとに命運を共にしてきた村々でした。

そして昭和31年、松山村は坂出市に合併されたことにより、このとき各大字が「高屋町・青海町・神谷町」となりました。また同時に編入された王越村は、大字であった乃生と木沢を合わせて「王越町」という1つの町名として坂出市に加わりました。

一方、高屋町の北に隣接する大屋冨町(おおやぶちょう)は、江戸時代には高松藩領の「大屋冨村」として存在していましたが、明治23年の町村制施行により、近隣の林田村(はやしだむら)と合併し、林田村大字大屋冨となりました。そして昭和17年に林田村と坂出町が合併して坂出市が誕生した際に、大屋冨町として独立しました。つまり大屋冨町は、松山村とは直接の関係はないものの、現在の松山校区は、「高屋町・大屋冨町・青海町・神谷町」の4町で構成されています。

さて明治25年に創設された松山尋常小学校は、昭和16年の学制改革により松山国民学校となり、さらに昭和31年、松山村の坂出市合併に伴い、坂出市立松山小学校(私の母校)となり、現在に至っています。またかつては共に松山村を構成した王越町では、明治24年に王越尋常小学校が設立されましたが、過疎化が進み平成23年(2011年)3月末に137年の歴史に幕を閉じ、松山小学校に統合されました。よって現在の松山小学校は、高屋町・神谷町・青海町・大屋冨町に加え王越町の児童が通っています。もっとも松山小学校も、他地域同様少子化の影響を受け、児童数は減少の一途をたどっていますが、なんとか存続してほしいと願うばかりです。小学校の存在は、地域活性化の原動力です。若者世代が定住することで子どもたちが生まれ、はじめて小学校も存続できるのです。

ここで当地の文化財にも触れておきます。香川県には国宝の建造物が2棟ありますが、そのうちの1棟が神谷町にある国宝・神谷神社です。2022年9月27日には、神社の大棟に落雷があり、創建当時の古材の一部が焼損しましたが、懸命の消火活動により国宝としての価値は毀損されずにすみました。そして国・県・クラウドファンディングなどの援助を受け、修復工事が無事2025年9月30日に完了しました。また高屋町には高家神社(別名・血の宮神社)があり、青海町には四国八十八箇所霊場第八十一番札所・白峯寺があります。白峯寺境内には崇徳天皇白峯寺陵が所在し、現在は宮内庁の管理下に置かれています。