#909 「メンタル脳&ストレス脳(アンデシュ・ハンセン著)」

著者のアンデシュ・ハンセン先生はスウェーデンの精神科医です。ストレスだらけの現代生活をどうやって乗り越えていけばよいのか、専門家の立場から明快かつ分かりやすく指南してくれます。現在スウェーデンでは大人の8人に1人が抗うつ薬を服用し、WHOの試算によると世界で2億8400万人が不安障害を抱え、2億8000万人がうつに苦しんでいます。先生は精神科医になってから、「私たちは物質的にはこれほど快適に暮らせるようになったのに、なぜ気分が落ち込むのか」という問題をずっと考えてきました。以下、簡単な備忘録です。

この本の登場人物は、25万年前の東アフリカに住んでいたエヴァという女性です。エヴァには7人の子供がいましたが、息子1人は出産時に、娘1人は重い感染症で、別の娘は崖から転落、そして別の息子はティーエイジャーになり争いに巻き込まれ、亡くなります。そして残った3人が大人になり合計8人の子供をもうけます。つまりエヴァには8人の孫がいて、その孫たちの4人が大人になり(つまり4人は亡くなる)さらに子供をもうけます。こういう状況が1万世代にわたり繰り返され、その子孫が現在の私たちです。

エヴァの時代の人々は、みな狩猟採集民族なので、生きること自体が大変な人生でした。前述の通り、子供の半数が10代になる前に死亡します。幼いときはウイルスや細菌に感染して命を落とし、うまく成長した後も、病気、飢え、水不足、さらには動物に襲われたり、事故に遭ったり、誰かに殺されたりします。私たちは現代に生きているのでピンときませんが、人間の歴史のうち99.9%の時間は、そのような過酷な生活を続けてきました。そして彼らは厳しい環境下で生き延びるために、100~150のグループを形成して生活を始めます。そうするとグループ内には「冒険心の強い人」、「慎重に行動する人」、「強靭な人」、「統率力のある人」など様々な人々がいることで多様性が担保され、よって様々な困難に対処可能となり生存確率が高まるのです。

私たちの「脳」は、そういった厳しい時代の狩猟採集民たちのそれと基本的には同じです。つまりエヴァの脳にとっては「どうすれば生きのびて子孫を残すことができるのか」が最重要課題であり、それは現在の私たちの「脳」にとっても同様です。しかし私たちの生活環境が激変したために、その変化に「脳」がついていけず、それが様々な問題を引き起こす原因になっているとハンセン先生は言います。以下いくつかの簡単な事例です。

人は崖に近づくと怖くなり足がすくみますが、それは脳が生き延びるために正しい選択をさせようとする結果です。そして崖から引き返すとほっとしますが、これは「安心」という感情のご褒美です。またエヴァはやっとの思いで木に登り果物をゲットすると、「ああ、幸せ!」としばし幸福感に浸ります。しかしこういった「安心感」や「幸福感」は長続きしません。つまりずっと幸福感に浸っていては、新しいモチベーションが生まれず、餓死するからです。残念ながら人間の「脳」はそういうふうにできているのです。

現代生活において私たちは、タバコ、車の運転、ソファに座りっぱなしで過ごす生活に対し危険を感じる本能はありません。現在のヨーロッパではヘビに噛まれて死ぬのは年間4人程度ですが、自動車事故では8万人が亡くなっています。それなら自動車に対して恐怖を感じるべきですが、脳はエヴァの時代のままで、そこからはほとんど進化していないのです。同様の理由により、カロリーたっぷりの食べ物があれば、いくらでも食べてしまいます。

草むらで何かがちょっと動いただけでびくりとするのは、危険な動物が隠れているかもしれないと思うからです。妊婦は感染すると自身だけでなく赤ちゃんも命が危うくなります。よって「つわり」が気分を落ち込ませて、他者から孤立させます。また強いストレスが続くとうつになりますが、その原因や対処方法についてもハンセン先生は詳細に説明してくれます(運動はメンタルを強化する有効な手段です)。

最後に興味深い事例をひとつ。ネパールのアンナプルナ山群は標高8000メートルを超え、世界で最も危険な山の1つです。現在までに約200名が登頂を試み、25~30%が死亡しています。こんな危険なことにチャレンジする性質は大昔に遺伝子プールから消えていてもいいはずです。しかし人間にはリスクを冒す側面もときには必要です。そしてそのレベルは人によって異なり、アンナプルナに登る人は、スリリングなことにチャレンジすると大きなごほうびをくれる脳なのです。