#902 各地のコミュニティ事情

桜も散り、気温もぐんぐんと上昇し、いよいよ初夏の雰囲気となってきました。GWも間近となり、GW用の出荷も大詰めとなりました。今年は特に「物流の2024年問題」を抱えているだけに、どのような影響がでるのか、なかなか予想がつきません。さてイラスト担当者による新着情報をお届けします。
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地元香川県に戻ると、地域の繋がりが強いなあとよく感じます。近所の人に会うと挨拶を交わし、散歩しているワンちゃんは、ファーストネームで呼び、なでなでさせてもらいます(飼い主のファーストネームはわかりません)。実家が自営業をしているせいか、自己紹介すると全然知らない人からでも、「◯◯さんとこの△△さんやな!」と言われることも珍しくありません。そこで両者のソーシャルディスタンスは一気に縮まり、長い立ち話につながることも少なくありません。

どこも同じですが、地方におけるコミュニティの繋がり強度に対する捉え方は、地元民にとっても様々な考え方があります。良く聞かれる意見としては、匿名性が担保されないことに対し、少し重く感じることがあるのに対し、逆に連帯感を共有することで生活に対する安心感につながることもあるようです。前者は若年層、また後者は熟年層に多く見られる傾向があるようです。

ただコロナ禍を経験したことで、地域コミュニティにも変化が見られました。つまりコロナ禍では一切の自治会活動が自粛されましたが、コロナ禍が明けても、元に戻るものと戻らないものがあります。一例を挙げると、冠婚葬祭の簡略化です。あくまでも個人的な感覚ですが、大々的な披露宴は、以前ほどはなくなり、葬儀については家族葬が大幅に増加し、かつほとんどが事後報告となりました。また簡略化もしくは廃止された自治会行事も多く、地域コミュニティの繋がりもコロナ禍以前と比較すると、「ゆるく」なりこれはいい傾向であると、個人的には感じます。

一方、氏神神社で執り行われる例大祭のように元に戻ってほしい行事もあります。「祭礼行事は面倒」と思ってる方いるようですが、個人的にはこれからもずっと将来にわたり続いて欲しい行事です。氏神神社があるおかげで、各地域は一つにまとまり、地域の歴史を再確認し、単調になりがちな日常生活に潤いを感じることができます(個人的感想)。私の田舎では、毎年5月3日の例祭と、10月第一日曜日の例大祭が2大イベントです。どちらも厄年男が白装束で神輿を担ぎ、おさがりがあります。ただ近年は、人材難のために担ぎ手は誰でもOKとなりました。祭り前夜には、宵神楽もあり、幽玄な気分に浸れます。

では都会のコミュニティはどうなっているのかというと・・・。アパート一人暮らしの私にとって近所付き合いは殆どありません。数世帯が入居していますが、誰もが意識的に接触を避けているような雰囲気さえ感じます。たまに遭遇することがありますが、軽く会釈しそれ以上進展することはありません。きっと東京暮らしは、どこもこんなもんだろうと思いっていましたが、実は2年ほど前に転機が訪れました。近くの飲食店でアルバイトをしていた知り合いを通じて、お店の懇親会に参加することになりました。参加者は同地域在住の20代〜50代で、サラリーマンや自営業など様々です。

私がこの地域に長く住んでいることを話すとみんな喜んでくれ、地域コミュニティならではのお話を沢山聞くことができました。特に狭い地域社会にも派閥が存在し、「◯◯のお店と△△のお店は反目しているので双方に配慮しながらの対応が必要」など地元ならでは生々しい情報もポンポン飛び出します。都会の生活は無機質かと思いきや、私が知らないだけでどこも同じ人間社会ではないかと感じました。

イギリスの社会学者ロビン・ダンパーは人間にとっての心地よい適正規模の集団数は150人程度と算出したので、これをダンバー数というそうです。私たちはどこにいても、このくらいの規模で安定した社会関係を維持するのが快適なのかもしれません。