#892 「美食地質学」入門(巽好幸著)・・・①フィリピン海プレートの大方向転換が讃岐うどん生んだ!
世界に誇る和食がなぜかように繊細で美味で素晴らしいのかを、マグマ学者である巽好幸先生が、専門のお立場から明快に説明したのが本書です。日本には、和食の基本となる「出汁」を始め、「豆腐」、「醤油」、「蕎麦」、「うどん」、「魚介」、「地酒」などの名産地が全国に点在します。これらの名産品は、一見、地球の成り立ちとは、何の関係もなさそうに思えますが、実はそうではないのです。巽先生は、専門の立場からそれらの産地が、偶然にではなく、地質学的必然性によりできあがったことを明快に説明します。もちろん、うどん県の讃岐うどんもそうなのです。
では簡単に日本列島の成り立ちを辿り、一見突拍子もないようですが、これがなぜ讃岐うどん誕生につながるのかを説明します。日本は、画像のように4つのプレートがひしめき合い、大地震の10%が集中する世界一の地震大国です(下図参照)。地震や火山が集中するゾーンを「変動帯」と呼びますが、日本列島は世界一の変動帯ということになります。
日本はかつてアジア大陸の東縁部でしたが、約2500万年前に突如太平洋に向かって移動を始め、1500万年前になるとほぼ現在の位置まで到達します。そして約300万年前になるとそれまで北上を続けていた小さなフィリピン海プレートは西進する巨大な太平洋プレートに押され北西へと進路変更を強いられます。このフィリピン海プレートの方向転換が、讃岐山脈の隆起を引き起こした結果、それまで四国山地(徳島県美馬市付近)から讃岐平野に流れていた吉野川はせきとめられ、現在のように東に流れるようになりました。
元来、日本の気候は、冬は日本海側に大雪をもたらす湿った風が北から、そして夏には太平洋からの湿潤な南風が吹き寄せる温帯モンスーン気候です。しかし北は中国山地に、そして南は四国山地に挟まれた瀬戸内地方においては、季節風がこれらの山地を超える際に水分を吐き出してしまうため、好天に恵まれ降水量の少ない瀬戸内式気候となりました。つまり瀬戸内式気候に加え、大河川・吉野川の水が流れてこないため米栽培には不適という環境の中で、小麦栽培が始まったわけです(といってもフィリピン海プレート方向転換後300万年が経過した後の話ではありますが・・・)。
小麦は元来多雨を嫌い乾燥に強い作物なので、瀬戸内式気候は小麦の栽培にぴったりなのです。江戸時代中期の「和漢三才図会」に「讃州丸亀の産を上とす」と記述されているように讃岐は古くから小麦の産地として有名です。そしてこの好天乾燥気候が入浜・流下式製塩方法にも最適であったために、兵庫県や香川県は日本有数の塩田地帯となりました。
それだけではありません。讃岐うどんには「いりこ」出汁が欠かせません。このカタクチイワシの稚魚は、香川県観音寺沖の「伊吹島(いぶきじま)」周辺が一大漁場ですが、これには瀬戸内海の成り立ちが大きく影響しています。700以上もの島々が浮かぶ瀬戸内海は、「天然の生簀(いけす)」と称され、400種以上もの魚介類が生息する豊かな海です。そしてここでもフィリピン海プレートの進路変更が大きく影響しています。
瀬戸内海の地理的特徴の一つは、海峡部である「瀬戸」(隆起域)と「灘」(沈降域)が繰り返分布することです。そしてこの瀬戸と灘の繰り返しと地球の潮汐現象が相まって、瀬戸内海には高速潮流が発生し、これが豊かな漁場の要因となっています。ではこの瀬戸と灘がなぜ交互に分布するかといえば、これもやはり300万年前のフィリピン海プレートの方向転換に起因するのです。つまりフィリピン海プレートが斜めに沈み込むことで、瀬戸内海地域にはシワ状の変形が生じ、隆起域と沈降域が交互に生じたわけです。結局のところ一言でいえば、フィリピン海プレートの大方向転換が讃岐うどんを生んだと言えるのです。