#808ピュリファイアーの発明③・・・完成形は「吸引」と「篩い分け」の組合せ

パウアのお陰で、1814年以降、粉屋は、それまで処理が難しかった超硬質小麦・バナト小麦も、うまく製粉できるようになりました。パウアのピュリファイアーはよく故障したし、沢山の欠点があったにもかかわらず、より良い品質の小麦粉に対する需要は旺盛で、ピュリファイアーはハンガリーを始めとするヨーロッパ各地の主要な製粉所のほとんどで採用されました。

パウアのピュリファイアー実用化にあたっての最大の難関は、意外なところにありました。それは空気が吹きつけられることで、工場内は粉塵にまみれになってしまい、それをうまく処理する方法を誰も思いつくことができませんでした。当時はまさか粉塵が原因だとは思いもよらず、理由もわからず咳き込んでしまう粉屋も多くいました。しかしその思いとは関係なく、ピュリファイアーの導入により、工場は大型化し、更に原因不明の火災や爆発が頻発するようになります。

その後何十年にもわたり、火災と粉塵との因果関係がわからず、よもや粉塵に爆発の危険性があるとは、当時誰も想像しませんでした。この難問については、1867年になって、ウェルナーが吸気ファンを利用し、粉塵を沈降室に引きこむことで、初めて部分的に解決しました。とは言うもののウェルナーのピュリファイアーは、どちらかと言えば粉塵を取り除くというよりも、一ヶ所に集めたために、却って粉塵爆発の可能性を更に大きくするという逆効果もありました。

初期のピュリファイアーは、単に重力による沈降を利用した単純な仕組みでした。つまり小麦粉粒子が自然落下しているとき、気流が横から当たることで、その重さに応じた効果的な分級が行われます。ブダペストの著名な粉屋であり発明家であるハッゲンマッヘルは、一見何の変哲もないピュリファイアーを考案しましたが、これはオーストリアやハンガリーの製粉工場で多く発生する「サイジング」や「セモリナ」といった比較的大きなミドリングスの処理に効果があり、人気を博しました。しかしアメリカ、フランス、イギリスといった製粉工場で発生する小ミドリングスや、また大小入り混じった粒度分けされていないストックに対してはうまく対応できませでした。

ハッゲンマッヘルの重力式ピュリファイアーは、直方体の筐体の中に角度が調節可能な板が並び、右上からはファンで吸引されます(図左)。左上から入ったストックのうち、重い粒子はそのまま下に落下しますが、軽い粒子は吸引によって右側に引っ張られます。つまり一番重い粒子は容器1に落下し、粒子の重い順に容器2、容器3、容器4、容器5へと、5種類のミドリングスを取り分ける仕組みです。しかし実際には比較的重いミドリングスにしか、適用できませんでした。

またブッフホルツが発明した遠心ピュリファイアーは、回転しているプレートに落下したストックは、遠心力により外側に放り出されます。このとき重いストックは外側の容器に落下し、軽いちりやほこりは中心部からファンによって吸引される仕組みです。1876年にはブッフホルツは、改良型ピュリファイアーについて特許を取得したが、その能力は低くあまり実用的とは言えませんでした(図右)。

1870年代にはアメリカ製粉業界では、数多くの技術革新が行われ、遠心力型ピュリファイアーも市場に投入されましたが、結局支持は得られませんでした。ピュリファイアーの完成形は、「遠心力型」でもなければ「自然落下型」でもなく、結局は「吸引」と「篩い分け」との組合せで、現在のピュリファイアーもこの方式を採用しています。つまり上部からは吸引により軽いふすま片を分離しながら、一方で篩によストック(セモリナ)を粒度別に分離する方法です。