#765 水車式製粉の始まり⑦・・・スミートンによる効率性の解明

水車大工を永年悩まし続けたものは、水車自体の効率についての問題です。当時の技術ではどうやっても水車の能力を正確に測定することができなかったのです。どの水車も使用条件が著しく異なるため、皆が認める判断基準というものがありませんでした。よって長い間、水車大工や粉屋は、図に示した3つのタイプの水車、つまり上掛式、下掛式、そして胸掛式水車についての最適な使用方法を見いだすことができず、よってそれらを公平に比較し、論じることができませんでした。

ウィトルウィウスが述べた水車は下掛式ですが、初期の時代のいくつかは上掛式です。また実在が確認されている最古のものは、どちらも5世紀ですが、胸掛式水車についての最初の記述が現れるのは、1538年フィッツハーバートの「農業書」なので、このタイプは前者2つに比べると明らかに後発です。

一見すると下掛式水車の方が自然に思えるかも知れません。理由は多量の水が水車にあたり、それが周りに飛び散り、そしてばしゃばしゃと大きな音をたてるので、いかにも大きな力が発生しているように見えるからです。それに対し上掛式は、小さな流れが水車の桶に水を満たし、その水の自重だけで水車を廻しているに過ぎません。しかし当初は、水の重さに衝撃力も加わるという考えから、上掛式水車が何世紀にも亘り採用されていました。その後ようやく1787年になり、ラザール・カルノーが初めて正しい力学を著し、「流体は衝撃なしに機関内に入り、速度を失った状態で機関からでるのが最も効率が良い」ことがわかりました。

位置エネルギーを考えると、単に羽根に水が当たっているだけの下掛式よりも、桶に入った水がずっと下まで降りてくる上掛式の方が、効率的であることがわかります。しかし技術者達にとっては、個々の状況に対してはどちらが優れているのかは永い間、認識されることはなく、専ら二つの方式の相対的な比較ばかりが議論されていました。18世紀初頭には、同一条件の下では、デサグリアスは、下掛式の方が上掛式よりも10倍効率的であると主張する一方、ブリドールは逆に上掛式の方が6倍効率的あると主張し、両者の間にはなんと60倍もの開きがありました。

その後おびただしい人数の水車大工、技術者、実際の粉屋が試行錯誤を重ねた結果、徐々にですが大体の方向性が見えてきました。彼らは、石臼のサイズや、川の流れなどを色々変えてみるなど様々な条件の下で、水車の最適なサイズや回転数を模索し続けました。しかしながら科学的な実証は、これら蓄積された実際の経験結果からは導き出すことができず、後にちゃんとした実験設備の下で検証されるまで待つ必要がありました。そして18世紀半ばになってようやく、ジョン・スミートンが小さな実験用の水車を組み立て、あらゆる条件の下で、水の流れを調整し、実用に耐えうるだけの結論を導き出しました。

スミートンは、1単位のエネルギーがそれぞれの3つの水車に与えられたとき、上掛式はそのうちの約60%、下掛式は約30%、そして胸掛式はその間のエネルギーを伝達できることを発見しました。つまり下掛式は見た目には水をばしゃばしゃと跳ね上げ壮観ですが、これだけでエネルギーの30%を浪費しているのです。ただスミートンが水車の原理をかなり解明した後でも、実際の現場においては水車のサイズやタイプを決定するのは簡単ではありません。水車大工がそれぞれの水車に工夫を凝らすようになってからは、特にその傾向が強くなります。

水が落下する場合、胸掛式なら桶に一杯した水をそのまま真下にまで運べますが、上掛式の場合最上点では桶に半分しか入らず、しかもそれは水車が回転して最下点にたどり着くずっと前になくなってしまうので、胸掛式の方がより多くの仕事ができることも度々ありました。これはスミートンの結論に何ら矛盾するものではありませんが、多くの粉屋はこの事実にひどく困惑しました。しかし桶の底の形状にカーブをつけるとか、胸掛式水車の桶の上部に空気穴を開ける(よって中に閉じ込められた空気が水の流入を妨げることがなくなる)などの工夫を施すことで、もっと多くの水量を扱えるようになり、このような空気穴のついた水車が、1828年に初めて実用化されました。