#743 サドルストーンから石臼へ⑧・・・ローマのパン事情

ローマ人が使用していた小麦は、一部産地が異なるものの基本的にはギリシア人と同じ種類のものでした。ただデュラム小麦やパン小麦は、食生活において、ギリシア人たちよりも重要な位置を占め、反面大麦はそうでもありませんでした。ローマ人はエジプト人たちよりもずっと多くの種類の小麦に慣れ親しんでいました。それはエジプトではエンマー小麦がパンに使用されていたのに対し、ローマでは主としてポリッジ(お粥の一種)用途だった事実からもわかります。ローマ時代になり初めて完全な発酵パンができ、それが初期のクイックブレッド(速成パン)に取って代わり、人類史上初めて小麦の消費が大麦を上回りました。

プライニーは、前日の捏ねた生地の残りを利用して発酵させる方法、及び小麦ふすまをワインの発酵した泡で練り固めたものなど、様々なパン種(酵母)について説明しています。しかしローマのパンの素晴らしさは酵母を使用したことよりも、小麦粉そのもの、つまり粉をふるい分けることに着目した点にあります。ローマ人たちはパン用にはデュラム小麦もしくはイギリス小麦を好んで使用しましたが、ただ一方で、私たちはその品質を誇張し過ぎるべきでもありません。というのは、元々のローマのパンは水に沈む位重かったからです。そういった状況において、当時最高品質のパンは「パン小麦」や「普通小麦」といった3ゲノム系の小麦で作られ、とりわけ「パン小麦」で作ったパンが最高品質でした。

詳細は不明ですが、小麦粉は念入りにふるわれ、上級粉以外に2種の小麦粉、そして皮の部分であるふすまの計4種類に採り分けられました。プライニーがこの問題について論じていた本の中では、ローマの粉屋は3種類の小麦粉の合計で75%の歩留まり、そして25%のふすまが採れたとありますが、これは現在の製粉工場と比較しても遜色ありません。ただ上級粉の歩留まりは25%と極端に低く、これは現在の1/3程度です。ローマの上流階級の人達は、とりわけ色の白い小麦粉を好みました。

我々が理解しているところでは、パンはローマ人の発明です。そしてポンペイの遺跡から、彼らが実際に食べていたパンやペストリーがかなり良い状態で発見されています。それによるとパンは丸く、高さが約2インチで、それはポンペイの壁画に描かれている通りです(画像参照)。これはどちらかというと、現代のローフというよりもロールパンに近いようですが、エジプト初期のプリンパンや速成パン(クイックブレッド)などとは全く異なります。

またローマのポルタマッジョーレにある石棺の浮彫には、当時のパン製造工程の完全な手順が描かれています。これはウェルギリウス・エウリュサケスという人物のお墓で、彼は元々奴隷でしたが後に晴れて自由の身となり、粉屋兼パン屋として名を成した人物です。そのお墓には、実際の小麦粉混捏に使用された石製の桶が使用され、浮彫には、麦を購入する場面、アワーグラスミルで小麦を挽く場面、挽いた粉をふるいにかける場面、その粉を販売する場面、ロバを使いミキサーで生地を練る場面、手で捏ねる場面、パンを焼く場面、焼き上がったパンを計量する場面、そしてそれを運ぶ場面などが克明に描写されています。