#728 古代オリエントにおける麦作④・・・エジプトでの麦作風景その1

ナイル川流域においては、川の姿は季節毎に寸分違わず変化し、気候は極度に乾燥していたので浸食作用や風化作用などは縁がありませんでした。そうした自然環境の下では、「人間の身体も含め万物はきっと永遠不滅に違いない」という考えが芽生えてくるのも、自然な流れだったのかもしれません。幸い石はふんだんにあります。そこでエジプトの王は、この魅力的な考えを拠りどころに、世界でも類を見ない不朽の建築物を建設し、そこで死後も再び復活できる日を待ち続けることにしました。

でもいったいどのくらい待たないといけないのか想像がつきません。そこで彼らはきっと長期間過ごすことになるであろうこの住まいを、象徴的なものにするために、家財道具、財宝、護衛や奴隷の彫像、仕事や娯楽といった人生活動すべてを描写したものを一緒に入れ、将来復活したときにも支障なく生活できるよう準備万全整えます。そしてその来るべき復活する日のためには、食糧の生産や食事の準備は何事においても優先されるべき事柄でした。その結果、王様の霊廟には、当時のエジプトの労働者達の生活が、映画を見ているような鮮明なタッチで描かれた絵画、浮彫、そして彫像などが備えられました。

当時の記録を正確に残すために、エジプトの芸術家は、高度に様式化された工法を用い、生き生きとした表現形式を完成させました。また特定の労働や動作を表現するために、芸術家はその作業中の代表的なポーズを1つ2つ選び、それを繰り返し描き、個々を特徴づけることなく、正確に表現しました。このような技術的な手法を用いることにより、日常生活の出来事を細部に至るまで正確に描写することができました。

サッカラ遺跡(Sakkara)の霊廟は、第5王朝初期の紀元前2600年頃、太陽の神殿の設計者であり王室御用達の美容師でもあるティ(Ti)によって建設されました。ここでは壁面の浮彫には、当時の生活の様子が生き生きと克明に描かれている一方、その上部には人間味溢れるその日常会話が象形文字で彫られていて、それはさながら吹き出しのついた現代のコミック漫画のようです。

またある部屋の壁面には、ナイル川が氾濫した後の河口流域での人々の活動が詳細に描かれています。それらは魚とりや狩りといった生産活動や、更に重要な播種、収穫、脱穀、保管、粉砕、そしてパン焼きといった日常生活などです。第5王朝時代初期の霊廟、そしてそれより1世紀後のメレルカ(Mereruka)の霊廟にある壁面の様々な場面をまとめ、大麦の播種から刈りとりまでを連続して表現したのが次の図になります。

第5王朝時代初期のメレルカの霊廟に描かれている大麦の耕作と収穫風景(2600-2500 B.C.)。左上より順番に:

A:プラウを使った播種。
B:畑の中のいたずら。
C:つるはしを使っての播種。
D:羊に踏ませて、種を地中に埋める。その右は種を播く人。
E:大麦の刈り取り。
F:大麦の束を男の頭にのせ、それをロバに積み込む。
G:牛を使っての脱穀風景。左には一部、ロバも見えているが同じ脱穀に使用される。
H:ふるい、あおぎ分ける、そしてほうきを使った3つの脱穀方法。