#705 製粉用道具の登場②・・・サドルストーンと剪断力(せんだんりょく)

小麦に含まれる栄養素、食味、そして風味を存分に引き出そうとするなら、ただやみくもに搗臼で粉砕して小さく磨り潰すだけでは不十分です。理由は、そのままだと胚乳部分は潰され著しく損傷される一方、細かくなった表皮の一部が粉と混ざってしまうからです。実は、小麦の胚乳部分に含まれるタンパク質組織を傷つけずに、まわりを被っているセルロース(繊維素)だけを上手に取り除くのは、現代の製粉技術をもってしても簡単ではありません。

表皮部分だけをはがすことが理想ですが、それには小麦の粒は小さすぎるし、しかも表皮は胚乳部分にしっかりとこびりついているので、実際に取り分けるのは至難の業なのです。よって「剪断(せんだん)力(挟み切る力)」や「摩擦(まさつ)力」といった違う種類の力を巧みに使い分けながら、製粉技術を向上させ、単に「粉砕」や「磨り潰す」だけでなく、リダクション(reduction)つまり粒を「縮小化」させるといった考え方が重要になってきます。

そして「縮小化」を実現しようとすると、搗臼による製粉では必ず行きづまり、決して本流になることはありません。それに対し、サドルストーンのような前後運動であれば剪断力が利用できるのに加え、この剪断力は、上手に工夫すれば、最終的には人手に頼らないシステムにも応用することが可能です。そうなれば、製粉工程を最初から最後まで連続的に処理することが可能となり、その後かなり時間はかかりましたが、原料小麦を自動供給し、小麦を段階的に上手く処理する方法も実現されました。話は戻りますが、このようにサドルストーンはその潜在能力の高さから、徐々に支持を広げ、太古の農業においては不可欠の道具となります。何千年という永きに亘り使用されたことを考えると、サドルストーンやメタテーによって挽かれた小麦粉は、現在の巨大な製粉工場がこれまで生産した量よりも、多いかもしれません。

サドルストーンやメタテーは、改良を加えながら、それぞれ最終的に完成された道具となりました。試行錯誤や観察を繰り返し、また偶然にも助けられながら進歩を続けますが、知的要因も忘れてはなりません。搗臼と杵の組合せについては、その形態は早くから完成され、使い方も限定されていたので、それ以上の発展はありませんでした。今日、真鍮製の搗臼や杵もありますが、それらは材質が違うだけで機能的には当時のものと何ら変わりません。

しかしサドルストーンやメタテーは自由度が高く、作業時の姿勢を色々試しながら、また作業条件にも配慮しながらその形を徐々に完成させていきました。搗臼についてはあらゆる大きさ、種類のものがあり、中には到底粉砕には使えないような大きくて奇妙な形をしたものもあります。一方、サドルストーンやメタテーは、どこのものであろうと大抵長さ40㎝程、幅25¬¬~30㎝と相場は決まっていて、使用者の姿勢も同じです。下石が前方に傾斜しているところに跪き、両方の腕で上石の動きを調整しながら、腰から動いて使用します。そして下石の前方には凹みがあり、そこに挽き割りが溜まるようになっています。つまり臼の形、挽く姿勢、そしてその動きもすべてベストになるように設計されています。

次の図は、紀元前2,500年頃のエジプトの小像です。左はナナップカウの娘、ネブテンペットがサドルストーンで挽いています。そして右では女召使いがその挽き割りを篩っています。サドルストーンの下方には挽き割りを溜めるくぼみがあります。

サドルストーンの発展の跡を辿るのは困難で、今となってはある特定の地域に限ってみてもほぼ不可能です。その理由として、サドルストーンと一緒に使用されていた上石が、滅多に見つからないことが挙げられます。初期においては上石の形状が、サドルストーンの効率を推測する判断材料になりますが、ラバー(サドルストーンの上石)やマノ(メタテーの上石)のほとんどは、多忙な考古学者達によって必要なしと判断されてしまったのか、またその何の変哲もない形状から知らずに捨てられてしまったからです。ただ完成された段階になると、この上石の特徴としては、長さが20㎝以上、厚さはそれ程なく、幅は精々8㎝程度、また平らな面がいくつかあり、両手で掴みやすいような形になったことがわかっています。