#588 ローマ時代の製粉風景

f588イスラエル北東部のガリラヤ海南西に位置するオハロ遺跡から出土した玄武岩の石皿には、野生の大麦や小麦のでんぷんが付着している事実から、パンづくりの起源は少なくとも2万3000年前であることがわかっています。ただ当時は、道具らしい道具はなく、適当なサイズの石ころで小麦をすり潰していたのでしょう。4000BC頃の古代エジプトになると、初めてサドルカーンという道具が登場します。これは機能的には大根や生姜を摺りおろす「おろし器」を大きくしたような道具で、往復運動によるせん断力(引裂く力)を利用します。

f588_3右イラストの左は2500BC頃、ナナップカウ(Nanupkau)の娘、ネブテンペットがサドルカーンで挽いているところ。サドルカーン前部にはひき割りを溜めておくくぼみあります。また右イラストの右は女召使いがそのひき割りを篩っているところでです。その後スラブミル、プッシュミル、レバーミルなど改良版が開発されますが、全て往復運動を利用します。レバーミルは片方を固定しているので、円弧運動になります。しかし回転運動を利用した石臼が登場するには技術的に大きな飛躍と天才的な独創性が必要です。

回転運動を利用した臼は、ギリシャ人により紀元前500年頃に起こった一連の発展の中で発明されたとされています。私たちは見慣れているせいか、回転している石臼をみても何とも思いませんが、ストーク先生の言葉を借りると、「往復運動のサドルカーンと回転式石臼との間には、驚くべき険阻な知的飛躍が存在する」となります。つまり何も無いところから、回転式石臼を考案するのは、ちょっとやそっとではできない、正に第一級の発明品ということになります。そして回転式運動が発明されて初めて、水車や牛や馬などの「畜力」も利用できるようになり、生産量は飛躍的に増大しました。

f588_2小型で操作が容易なカーンという挽き臼には多くの利点があったので、孤立した地域や一部の後進地域を除き、それまでの家庭用粉砕器の定番であったサドルカーンに取って代わることになります。サドルストーンの改良型であるスラブミル、プッシュミル、レバーミル、そしてアワーグラスミルは全て過渡期の形態であり、カーン出現後は一般的に使用されることはなくなります。カーンはそれまで考案されたどの粉砕器よりも効率的で、家庭用の手頃なサイズに収まったので各家庭で支持され続けます。そしてそれは後に水車や風車で駆動されることになる円形のミルストーンの原型として、歴史的にも意義あるものです。

f588_4ローマのポルタマッジョーレにある石棺の浮彫(右イラスト&下イラスト)をみると、当時のパン製造工程の完全な手順がわかります。これはウェルギリウス・エウリュサケスという人物の墓石です。彼は元々奴隷でしたが、後に晴れて自由の身となり、粉屋兼パン屋として名を成した人物です。そのお墓は、小麦粉混捏用の石でできた桶が使用され、浮彫には、麦を購入する場面、アワーグラスミルで小麦を挽く場面、挽いた粉をふるいにかける場面、その粉を販売する場面、ろばを使いミキサーで生地を練る場面、手で捏ねる場面、パンを焼く場面、焼き上がったパンを計量する場面、そしてそれを運ぶ場面などが克明に描写されています。

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下のイラストはポンペイの壁画に描かれている、ローマ時代のパン。現代のようなふわふわパンではなく、平たいパンです。バスケットに入っているパンは別の種類で、これは現在のペストリーに近いパンです。
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下のイラストは17世紀、馬により駆動される行軍用製粉機です(1607年パドゥアで出版されたヅォンカの著書より)。兵站の重要な任務の一つとして、食糧の確保があります。特に主食である小麦粉は重要ですが、当時は精選・製粉技術が未熟であったために、製粉した小麦粉は、長期間保存することができませんでした。そこで移動製粉機、つまり石臼やパン焼きがまなどが携行され、移動の先々で製粉しパンを焼いていました。
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