#374 瀬戸大橋開通25周年

2013年4月10日、瀬戸大橋は満25歳になりました。1978年の着工から9年6ヶ月の歳月をかけ、そして総事業費1兆1338億円を費やし、1988年(昭和63年)4月10日に完成しました。橋梁上部は4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR瀬戸大橋線が通る2階建ての鉄道道路併用橋です。橋が架かる前、本州側に住んでる方々は、「四国というのは島国で、不便なところだな」と感じていたはずですが、四国に住む人間にとっては、それが普通で当たり前でしたので、特段何も思いませんでした。

とは言うものの電車で上京するには、坂出駅から髙松まで普通列車で30分以上(当時は国鉄です)、そこから瀬戸内海の対岸の宇野まで宇高連絡船で1時間、そこから更に列車で岡山まで1時間、つまり坂出から岡山駅に到着するまでざっと3時間もかかっていました。岡山からは新幹線を乗り継いで東京まで4時間半、つまり当時は東京まで、何と7時間半もかかっていました。ところが今は、坂出から東京までは僅か4時余り、以前のほぼ半分に短縮され、隔世の感があります。ただ当時は何時間かかろうと、それ以外に方法はなく、それが当たり前でした。でも大橋の架かった現在、一度瀬戸大橋の生活に慣れてしまうと、もう元の生活にはなかなか戻れません。

ところで瀬戸大橋開通に伴い、架橋博が開催され、それによって第2次うどんブームが起こりました(#328参照)。これにより栗林公園、屋島、こんぴらさんといった香川の観光地はどこも黒山の人だかりで、一杯600円のかけうどん(素うどん)が飛ぶように売れました。製麺所もしくはセルフのうどんが100~150円であったことを考えると破格というか、「いくらなんでも・・・」と思わざるを得ません。昭和50年頃の第一次うどんブームでは、髙松のど真ん中にうどんビルが建ってびっくりしましたが、この第2次うどんブームではお土産うどんを製造している製麺会社に大きなビルがいくつも建ちました。

あれから25年。そしてその後、2003年にピークを迎えた第3次うどんブームからも10年の月日が経ちました。今、香川県は「うどん県。それだけじゃない香川県」と相変わらずうどん立県を目指していますが、状況は大分落ち着いてきたように感じます。粗製濫造でなく、品質本位が強く求められる時代がきたように感じます。グローバル化によって一極集中が加速化され、地方の立ち位置は益々難しくなっています。加えて食の多様化によって、特定食品の一人勝ちという構図は考えにくくなってきました。そういった状況下で、さぬきうどんといえども、今後厳しい状況が想定されると思います。

うどんとは直接関係ありませんが、開通25周年にあたり、嬉しい出来事が一つありました。それは4月10日、グーグルの検索ボックスのロゴが瀬戸大橋に変わっていたことです。このロゴを見て、ただ理由もなく嬉しくなりました。当時、現在のようなインターネットの時代が到来するとは、誰が想像したでしょうか。瀬戸大橋開通後、暫くしてインターネットの商業利用が始まりましたが、当初はただURLを直接打ち込んで、目的のサイトにたどり着くだけでした。つまり当時はたとえサイトが存在するのがわかっていても、URLがわからなければ、どうにもなりませんでした。しかし検索エンジンが登場し、ネットの世界は一気に視界が開けました。これから先、どうなるのか全く見当もつきませんが、これからもさぬきうどんをよろしくお願いいたします。