#876 「人類の起源(篠田謙一著)」・・・③農耕・牧畜はいかに広がったのか

ヨーロッパの初期農耕に備わっているエンマ小麦や大麦、ヒツジやヤギといった家畜は、新石器時代初旬に中東から持ち込まれました。つまり農耕は中東からヨーロッパに輸入されたわけですが、やってきた農耕民がその後のヨーロッパの人口にどの程度影響を与えたのかについては、次の2つの仮説がありました。①農耕民によってヨーロッパの人口が置き換えられた。②従来の狩猟採集民族が農耕文化を受け入れた(よって農耕民の遺伝的影響は僅か)。従来この2つの仮説を正確に評価することは困難でしたが、古代人のゲノム解析により可能となりました。

ゲノム解析の結果、農耕の受け入れに際し地域集団の完全な置き換えは起きませんでしたが、8,500年前のヨーロッパ南西部では、中石器時代の狩猟採集民の子孫が、北西アナトリアからやってきた農耕民によって周辺に押しやられました。またイベリア半島には、7,300年前、アイルランドには5,100年前、スカンジナビア半島には4,900年前に農耕が普及し、最終的にはレバントやイラン北部からやって来た農耕民がヨーロッパ全域に拡散しました。アナトリアからやってきた農耕民のゲノムは、在来の狩猟採集民とは大きく異なり、その違いは現在のヨーロッパ人と東アジア人の違いほどと推定されています。

ゲノム解析によると、今から4,500年前には、ヨーロッパのほぼ全域の集団は農耕民と狩猟採集民のハイブリッド集団となりました。そして最終的には、ヨーロッパ全域で在来の狩猟採集民に由来するゲノムは、おおよそ10~25%程度になったと推定されています。

【読後の感想】
次世代シークエンサの技術により、すべてのDNAを高速で解読することが可能となり、考古学の手法は一変しました。僅かな骨片からでも人種はもちろん人物像までもが復元可能になるとは、ただただびっくりです。学生時代は、なんとなくホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、北京原人、ジャワ原人という名前は聞いてはいましたが「人類の起源」を読んでみてある程度スッキリと整理されました。また学生時代には存在しなかったデニソワ人が新しく登場したのも新鮮でした。

ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人という3種の人類は、数十万年にわたって共存し、互いに交雑することで遺伝子を交換してきたことも意外な事実でした。つまり私たちのDNAには、ネアンデルタール人やデニソワ人のDNAも含まれていると思うと、なんとなく妙な気分になります。また3種の人類の中でホモ・サピエンスだけが生き残った理由はいまだに謎ですが、そのうちに解明されるかもしれません。もし彼ら3人類が今の時代にタイムスリップしたら、現代生活にどのくらい適応できるのだろうか、と思わず想像してみました。

農耕の伝播については、漠然とイラン辺りからヨーロッパにかけて徐々に普及していったとしか思っていませんでした(#656)。つまり①「やってきた農耕民が現地の狩猟採集民にとって替わった」のかそれとも②「現地の狩猟採集民は単に農耕法を教えてもらっただけ」なのかは、考えてもみませんでした。しかしゲノムの解析の結果、農耕の伝播は、中東農耕民によるヨーロッパ狩猟採集民の短期間での置き換えはもたらさなかったものの、交雑を経て最終的には農耕民主体となったことが判明しました。

ただし以上の経緯は数十年、数百年といった短いスパンではなく、数千年単位での出来事なので、日常生活の中で体感できるほどの速度ではなく、誰も感じることなくゆっくりとした速度で変化していったようです。日本でいえば縄文・弥生時代から現代にかけてくらいの期間に入れ替わったことになります。本書では日本人のルーツについてもしっかりと説明されているので、興味ある方はぜひどうぞ。