#850 現代音楽に触れて

マスク着用義務も昨日解除され、今後は個人の判断に委ねられました。しかし3年間続いた習慣はすぐには変えられないのか、ほとんどが着用したままですね。ところでうどん県の桜はまだまだつぼみですが、東京はなんと今日が開花宣言です。果たしてお花見はできるのでしょうか。さてイラスト担当者の新着情報をお届けします。
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先日、大学時代のMちゃんから「当時作曲科の同級生だったI君の作品発表会があるので大学に聴きに行かないか」とのお誘いがあり、同じく同級生のKちゃんと3人で大学を訪れました。大学に立ち寄るのは、なんと7年ぶりで、古い校舎は建て替えられてモダンな姿に変容し、時間の経過を感じざるを得ません。発表会場となるコンサートホールは当時と変わりなく、古く懐かしい匂いがしました。当日は、当時の同級生や恩師と偶然の再会を果たすこともでき、一気に学生時代にタイムスリップです。

肝心のI君の作品はジャンルとしては現代音楽に属します。クラシック音楽やポピュラー音楽(現代のポップス)とは路線が異なり、「調整や旋律という概念に捉われず、実験的な演奏手法や極めて難解な和声の響きを持つもの」というのが現代音楽に対する個人的なイメージです。I君作曲の5作品全てが披露されましたが、それぞれ編成が異なります。「琴とギターとヴィオラ」という弦楽器でまとめた作品、ピアノ一台だけの作品、中でも印象的だったのはスネアドラム3台の作品でした。

スネアドラム1台に1人演奏者がつき、Aさんが演奏したものをBさん、Cさんが同様に繰り返します。様々な手法を用いながらドラムを鳴らすのですが、曲の最後の手法では、スネアドラムのヘッド(膜の部分)を両手でシュッシュッと押し始め、それはさながら心臓マッサージのように見えました。みんな真剣に聴いているあの場の雰囲気が余計にそのシュールさを引き立て、笑いたくても笑えない雰囲気に、思わず私は顔を伏せてしまいましたが、そんな時に隣から「フッ」と笑い声が。Kちゃんは全く堪えきれない様子でした。やがて演奏会が終わり、周りの人と話していると「ああいう表現は笑っていい、むしろ笑ってくれないと作曲者も本望ではないかも・・・」との意見もありましたが、そこまで大胆には振る舞えません。作品の意図を是非I君に聞いてみたいものです。

その翌週、今度は新宿・初台にあるオペラシティで、大学時代の恩師のコンサートがありました。私が初めて現代音楽に触れたのもこの恩師の授業。当時はグランドピアノの蓋を取り外し、ピアノ線に鉛筆や消しゴム、布といった様々な素材のものを詰め、本来のピアノの音色を変化させ演奏する「プリペアドピアノ」なるものを学びました。今回はプリペアドピアノではなく、現代音楽ならではの拍子や調性という概念を取っ払ったピアノ曲の数々が披露されました。拍子がないため、演奏時間は演奏者によってマチマチで、普段は聞き慣れない複雑な音で構成された和音が連なるせいか、普段より個々の和音の音色により注意を払って耳を傾けるようになりました。

それにしても、現代音楽は一般的にはなかなか理解されにくいジャンルです。誤解を恐れずに言うと、少なからず現代音楽をかじっているコアな層にしか受けないニッチな分野です。そのせいか演奏開始後数分足らずで船を漕ぎ始める人も目立ち、その難読さがよくわかります。

そんな人たちを見ながら、私の頭の中では「現代音楽は何のためにあるのだろう」という疑問がふつふつと湧いてきました。人をリラックスさせるわけでもなく、大きな感動を与えるわけでもない音楽を、わざわざ人を集めてお金を払ってまで聴く意味とは何なのでしょうか。そんなことを考えていると、気づけばコンサートが終わっていました。

コンサートの帰り、Mちゃんと食事をしながらこの疑問を投げかけると、Mちゃんの感想も同じでした。そして私たちの結論は、「現代音楽が何のためにあるのかを考えるために現代音楽はあるのだ」という堂々巡りの答えとなりました。とても難解な音楽ですが、音楽を通して少し物珍しい体験をしてみたい方は、ぜひ現代音楽に触れてみてみてください。