#823ロール製粉機への道程④・・・ウェーグマン型製粉機

品質のよい小麦粉を得るには、気流式ピュリファイアーの使用が不可欠ですが、その開発には気が遠くなる程の時間と人智が投入されました。そしてピュリファイアーが発明されると、今度は小麦粒を割って胚乳をとりだすための機械装置、すなわち挽砕機械の開発が最重要課題となります。よってその問題が解決されると、製粉産業は輝かしい新時代に、移行するのは間違いなく、その成否は、ロール製粉機の開発にかかっていました。1870年代は様々な製粉技術が考案され、潜在的な可能性を秘めた混沌の時代でしたが、これらを瞬く間にまとめあげたのは、ナポリの製粉業者ウェーグマン-ボドマー社のフリードリヒ・ウェーグマンでした。

彼は1873年に独自のロール製粉機を発明し、それをブダペストの製粉工場に納入します。そのロール機は、向かい合う1対のロール間隙に常に一定の圧力がかかる仕組みですが、それは従来どこにも見られなかった素晴らしい構造でした(画像)。筐体の中に2対の独立したロールが水平に配置され、内側のロールが駆動軸と連結されています。ウェーグマンのロール機では、何か異物がロール間を通過しようとすると、大きな圧力が加わるため、外側のロールは内側のロールに対して離れる仕組みです。外側のロールに連結されている重りはロールにかかる圧力を調整する役目をしていますが、ロールが大きく離れすぎてしまうと、均一な粉砕ができなくなります。よってその後ウェーグマンや他の技術者による改良版においては、この外側のロール位置を適切に調整するために、スプリングや伸縮性のある円盤が利用されました。

ウェーグマンのロール機は、直径が4.5インチ、長さが7インチとかなり小ぶりで、それは毎分180-200回転で回ります。材質は、ビスケットと呼ばれる上薬を塗らない素焼きの陶磁器製です。小麦粒を割ってミドリングスを採取する破砕工程には不適でしたが、ミドリングスを小麦粉に粉砕する工程では、品質的にも初めて石臼に代替できる、満足のいくロール機となりました。このウェーグマン型ロール機は、ヨーロッパの比較的大きな製粉工場を中心に、野火のように瞬く間に普及します。

1875年の博覧会では、当時ウェーグマンのロール機を製造していたブダペストのガンツ社が、チル鋳鉄製ロール機を展示しました。ガンツ社は鉄道列車の車輪製造用としてこの材質を永年使用していましたが、1874年8月、製粉用としては初めてチル鋳鉄製ロール機を受注しました。このガンツのロールには、きれいに条溝が彫られていて、これは大きな進歩でした。1878年になると、多くのブダペスト製粉工場において、ロール製粉機が石臼を代替するようになります。1874年から1885年までの12年間において、ガンツ社はビスケット製及びチル鋳鉄製ロール機を併せて13,000台をヨーロッパ一円に販売しました。

当初、ロール機が注目された理由は、その経済性にありました。1890年終盤頃までは、ミドリングスから小麦粉への粉砕、及び末粉の処理では、石臼の方がロール機よりも優れていましたが、欠点はその目立て作業が高価でそして時間もかかることでした。しかしやがてロール機の性能も向上します。そしてロールの材質はより硬くなり、粉砕面はより均一になり、軸受け機構も改良され、ストックの定量供給が可能になり、またロールの速度比も安定するようになってくると、経済性以外の利点も目立ってきます。チル鋳鉄製ブレーキロール(溝付ロール)は小麦粒からミドリングスを取り出すのに最適であることがわかり、一方チル鋳鉄製スムースロールは、ミドリングスを小麦粉に粉砕するのに素晴らしい性能を発揮しました。しかしながら多くの製粉業者は、どういう訳かその後も長く、ウェーグマンのビスケット製ロール機を愛用し続けました。