#812ピュリファイアーの発明⑤・・・ブラシを取り付け性能アップ

ピュリファイアーの発明により小麦粉の品質は、劇的に向上しましたが、当時のピュリファイアーには致命的な欠陥がひとつありました。それは使用中に頻繁に目詰りを起こすため、常に誰かがそばについて、篩いをブラシで掃く必要があったのです。そこでジョージ・スミスは篩いを駆動するシャフトにブラシを連動させることで、ブラシが自動で篩いの下側を拭き取るように改良し、この目詰りの問題を解決しました。

その後、ふすま片だけでなく、小さなミドリングスも一緒に飛ばされることに気づいた彼は、これが小麦粉歩留り低下につながることに気づき、更なる改良を重ねます。彼はリール(円筒型篩い機)から仕分けされた2種類のミドリングスを、1つのファンを使用しながら、2種類の篩いで純化する、ダブルピュリファイアーを考案。更には一度に3種類のミドリングスを純化するトリプルピュリファイアーも制作することで、スミスは短期間で、ピュリファイアーの事業化に成功しました。

図は1876年、当時の彼が制作したピュリファイアーの断面図です。ストックは右上のリールで篩い分けられ(充分な長さがとれないので効果は限定的でしたが)、2種類もしくは3種類の異なる篩いに落ちて、純化されます。軽いストックは、吸引され上部の4つのポケットに溜まり、ポケット上部には吸引の強さを調整する調整弁があります。スミスが考案した可動式ブラシを設置することで、篩いの下面は常にきれいな状態が保持されます。ただブラシは横方向ではなく、縦方向に移動するため、多少細かいストックと粗いストックが混じることが欠点でした。

スミス型ピュリファイアーの利点は、単に自走式ブラシを装着しただけでなく、気流のコントロール方法が改良されたお陰で、ミドリングスの分別も効率化されました。「ピュリファイアーは、一度に同じサイズのストックしか処理できない」という事実は、近代製粉になってから初めて判明しましたが、この理由は明らかです。幾つもの異なるサイズのストックが混在するとき、ある大きさのふすま片を持ち上げることができる気流は、同時にそれより小さい胚乳も同時に吹き飛ばしてしまうからです。

ハンガリー式製粉方法に改良を重ねることで、アメリカの製粉工場では、ピュリファイアーや篩い機が以前より大幅に増えましたが、これはロール製粉機がまだ導入される以前の話です。ここで実際に行われたことは、何か特別に素晴らしい原理や装置が発明されたのではなくて、既存の技術に対して細部における改良や使い勝手の向上といった現実的な改良、つまりチューンナップが主体でした。

ピュリファイアーは、「扇ぎ分ける」と「篩い分ける」といった2つの動作を同時に行うものですが、これはピュリファイアー自体の改良が必要なだけでなく、その前後の工程における機械も同じレベルで完成されてないと、ピュリファイアーの効果は充分に発揮できません。

このピュリファイアーに関連した特許及び契約などの事務手続きを、スミスは1870年代前半に処理しましたが、実際にその生産が本格的になるのは1876年になってからです。当初その性能上の優位がはっきりしていたにも拘わらず、導入されていたのは僅か42工場にしか過ぎませんでしたが、1880年になると、一気に2,000台が使用され、その後3年間で7,000台が販売され、1892年までにはなんと19,000台が販売されました。但し、販売されたのはスミス型ピュリファイアーだけではなく、第三者による中には全く使い物にならないまがい物、また特許侵害を犯しているものなど玉石混交で、実に様々な機械が販売されたということです。