#768 風車製粉の始まり①・・・風車についての最古の記録

ローマ帝国が徐々に没落し、かつては辺境の地であったところに新しい生産拠点や貿易の場を求める動きが、進歩的な人々の間で見られるようになります。それは最初ガリアのフランキッシュ地方に始まり、後にイタリアの中部及び北部へと移りますが、それらに共通しているのは必ず水源が近くにあるという事実です。そしてそれ以後は何世紀にも亘り、水車が商業発展の原動力となり、水車に適した水源を持たない地方は、経済活動をおこなう上で極めて不利となります。よって水源を持たない地域が、新しい世界で注目を集めるためには、畜力、水力に代わる新しい動力原の発見が死活問題となりました。

この状況はヨーロッパの低地ではとりわけ深刻でした。それらの土地は肥沃で、灌漑も整備され、陸海上および水路による交通の便も完備され、ヨーロッパ西部、中部、そしてブリテン諸島を含むヨーロッパ北部などの文化地域と貿易をしていました。ただいかんせん、ほとんど完全な平地であるがゆえ、彼らには水車が利用できませんでした。

しかし偶然にもこの北海沿岸の低地帯は、西からの卓越風が吹いていて、それは被害をもたらす程の強風ではないけれど、かなりしっかり、そして毎日のように吹いていました。そして人々はそんな環境の中、今一度、社会的不便さを解消すべく方法を思い付きます。つまりスコットランドの低地に住む人々は、風車を水車と同じような動力原として発展させたのです。風車は、生産に必要な動力を生み、冠水した土地からポンプを使っての排水を可能にしたので、それにより新たな土地の開墾、維持管理ができるようになりました。つまり風車は生活必需品となりました。しかし満足のいく結果が得られるまでには、新しく生じた複雑な技術的問題を一つ一つ解消する必要がありました。

空を流れる気流は何世紀にも亘り、川や海上を航行する船の推進力でした。しかし水上の船を帆走させることと、地上のある地点に留まって利用可能なエネルギーを発生させることは、技術的には雲泥の差があります。とりとめもなく流れている水の力を、有効利用したのが水車ですが、もし水車の存在がなければ、風車の利用などはとても思いつかなかったに違いありません。

風車についての最古の記録は、水車のそれよりも1000年以上後のことで、アラビアの地理学者アル・マスディとアル・イスタクリが10世紀に近東地域を広く旅行し、現在のイラン東部にあたるセイスタンのヘルマンド川の川岸で動いている風車を目撃したのが最初と言われています。またペルシア人が西暦644年よりかなり以前に、風車を使っていたという、間接的な言及もありますが、これは定かではないようです。

セイスタンの製粉機は直接駆動式(ノルウェー式)製粉機と驚くほど似ています。つまりノルウェー式水車は、水平の状態で水面に置かれ、水車の一部の羽根に水流があたり圧力を受けます。一方、セイスタン風車は、石でできた塔の中に設置され、垂直な軸の周りに帆が張られ、一方方向だけからの風を取り込み、回転する仕組みになっています。そしてこのノルウェー式水車もセイスタン風車も回転軸に直結された石臼を回します。

このような固定した配置は、一定方向だけ強い風の吹く地域に都合がよく、セイスタン地方は正にこのような条件に合っていました。セイスタン地方は、常に風が吹いていて、夏場になるとそれが一段と峻烈になり、北方方面から熱い風が間断なく唸り声をあげて吹き込み、それは夏の間中続きました。そして冬になると幾分和らぎ、時には止むものの、大抵は同じような北風が吹きます。こういった条件は、この塔の中に設置された風車にとっては理想的だったわけです。