#763 水車式製粉の始まり⑤・・・石臼の構造

小麦を上手に粉砕するには、上臼と下臼の間隙は厳密に調整する必要があります。理想をいえば両者はどの部分においても触れ合うことはありません。昔の粉屋は次のように表現しました:「上臼と下臼の間隙は、中心部分では厚紙、中間部分では新聞紙、そして周辺部分ではちり紙一枚程度が望ましい。これは誇張でも何でもなく、それが理想なのだ」。また時に上臼の所々に穴を開け、そこへ鉛を流し込んで全体のバランスを調整しました。また静止しているときと、回転しているときではバランスが違うので、くぼみに付けてあるおもりを上げ下げし、また出し入れしながら、回転時のバランスを調整しました。

粉砕面に施す目立ては極めて重要です。オリバー・エバンスは次のように指摘しています:「上手に挽いた粉は、生き生きとしていて、上手く発酵して膨れる。しかし目がすり減った石臼で挽くとそれが台無しになる。つまり挽いた粉は過度に細かくなり、ねばねばしてくっつきやすくなり、直ぐにふるいの網の目詰まりを起こしてしまう」。

小麦の胚乳部分は、熱を持たないよう、また過度に力をかけないようにして、細かく粉砕する必要があります。石臼の溝は、本来小麦を挽く機能の他に、その溝を通して換気をおこない、挽いた粉が周辺部分に押し出される間に冷却する役目もあるのです。

画像は当時の石臼職人の目立て風景と、その目立ての代表的なパターンをいくつか示しています。上臼と下臼は同一パターンに目立てされ、よって上臼が回転することによって二つの臼の間に剪断作用が生じます。通常目立てを行う場合、石臼の表面は正確に何等分かされ、そのひとつを「分画(ぶんかく)」といいます。画像下の例は、10分画で、各分画には1本の主溝(しゅこう)と複数の副溝(ふっこう)が彫られています。主溝は真っ直ぐ中心に向いている訳ではなく、回転方向が反時計回りであれば主溝は左方端で中心の穴に接し、時計回りなら右方端で接するように切られています。

当時の溝の切り方は、断面図を見るとわかるように、溝の先端部分は垂直に立っている一方、後方は緩やかな傾斜のついた薄刃状になっている方式が、一般的に支持されました。しかし溝の深さ、溝の幅、そしてとりわけ後方の薄刃の角度については大きな論争が起きました。その理由は、胚乳部分が引き裂かれるのか、それとも押し潰されるのかによって、生きた粉になるか、死んだ粉になるか決まりますが、それは正にこの薄刃の目立ての方法に左右されるからです。また当時は、溝と溝との間の「山」の部分に、細い溝を切ることも普通に行われていました。

ただ色々改良を加えても、実際には肝心の挽く瞬間を見ることができないので、その結果は挽いた粉をみて判断するしかありません。今日では同じような作業でも、透明の円盤が利用でき、実際にどのような剪断作用が生じているのか直接確認できるようになり、この作業効率化の向上には目を見張るものがあります。

上臼が回転し始めると、上下の溝は鋭角で交わり、「切断作用」を生じながら、よって小麦を挽きながらだんだんと周辺部に押しだします。これは正にハサミと同じ動きで、それらの支点はすべて回転軸とはずれています。つまり石臼FとGで行われることは、長さの異なる40丁のハサミと同じで、言い換えると最初中心部に入った小麦は10丁のハサミによって切り開かれ、その後は40丁すべてのハサミが同時に働く仕組みです。そしてこれは単に小麦を漸次、剪断するだけではなく、同時に連続的に外側に押し出す動きも兼ねています。こういった一連の動きを見ると、当時の職人達が経験に基づきながら如何に素晴らしい仕事を成し遂げたのかを感じとることができます。