#760 水車式製粉の始まり④・・・2種類の歯車

水車と石臼を連結する、初期の歯車はすべて木製で、2種類ありました。一つは「提灯(ちょうちん)歯車(ランタン・ピニオン)」といって二つの円盤の間をステイブという細長い円柱状の棒で連結したもの(画像参照)。またもう一つは、薄い円筒形の周辺部分に等間隔に木製の留めくぎを配置した、一般的に「平歯車」と言われているものです。平歯車には、垂直方向の歯車からの力を、水平方向の歯車に伝達するタイプもあり、これは現在の傘歯車にあたるものです。

この提灯歯車構造は、主として小さな歯車に採用され、またそれぞれのステイブには大きな力がかかるため、しっかりと固定されている必要がありました。一方、薄い円筒状の平歯車は大きな歯車に利用され、提灯歯車がうまくかみ合いながら、そこへかかる力を分散させます。木製歯車の滑らかな動きは、巧妙な工夫によって実現されています。精巧さにおいては鉄製には到底及ばないものの、水車大工は通常使用において全く問題ないようにうまく工夫を凝らしています。

一例を挙げると大きな歯車には61個の歯と、提灯歯車には10個の歯の組合せがあるとします。この大きい歯車に一個余分につける歯のことを「無駄歯(むだば)」といいますが、これは次のような理由によります。今、平歯車が一周したとき、平歯車の最後の歯は、小さな提灯歯車の1個目の歯と噛み合っているので、次の回転は2番目の歯から始まります。つまり一周する毎に、一つずつずれていくので、お互いの歯は万遍なく、一様に噛み合うことになり、特定の歯に負担がかかることはなく、よって特定の歯だけが早く摩耗することを防止します。

この歯車の均一な動きは、滑らかでかつ平均した粉砕には不可欠で、そのためには途絶えることのない川の流れ、そして優れた技術が必要です。製粉に適した滝や急流を捜し求めた結果、都市、町そして村は、落差の大きな流れの近くにできるようになります。例えばニューヨーク州ロチェスターは、ジェネシー川の大瀑布を、そしてミネアポリスはセントアンソニーの滝を中心に発展しました。その上流からの水は用水路などを通じてより扱いやすい形に処理され、下流の水車製粉場へと送られました。

そしてこのような恵まれた環境であっても、干ばつに備えてダムを建設することも必要です。より平らな地域では、充分な流量を確保するために水車製粉場のかなりの上流にダムを建設することもありました。また近くの池から水を引いてくるなら、水車に届くまでは用水路の堤防の高さを池とほぼ同じにしておく必要があります。そしてこのような条件を満たす品質のダム、用水路、水門などの建設にはかなりの実践的な工学技術が要求されました。

当時の水車製粉というのは、現代の我々にとっては重工業に匹敵します。一般的な新品の石臼の直径は4・1/2フィート、高さは8インチ以上、そして重さは1,500ポンド近くもあり、大きいものでは直径7フィートを超えるものもありました。多くの製粉場では、地元の石切場から切り出された石が使用されました。最高品質の石は貴重であったので、高価ではあったけれどしばしば輸入されました。英国の粉屋は当初、ローマ人が好んだライン川のアンダーナハの石がお気に入りで、これは青石、もしくはケルンが訛ったクリン石とよばれていました。しかし18世紀になるとラ・フェルテ・スー・ジュアールやパリ近郊のベルジュラックで採れたフランス・ブール石が、高級志向の製粉工場で好まれ、遠くアメリカにも多く輸出されました。この石の中を走る不規則な石英組織のお陰で、石臼の表面が摩耗しても粉砕面は常にシャープな切れ味を維持することができました。