#757 水車式製粉の始まり②・・・ウィトルウィウス型とノルウェー式

ウィトルウィウス型水車の登場により、手作業は初めて機械生産にとって代わられることになります。これが端緒となり、ゆくゆくは産業革命へと結びつき、最終的に手作業は実質的になくなっていきます。粉屋は機械について精通している必要がありますが、人類はここで初めて、レバーを押したり調整をしたりするだけで、実際の仕事ができるようになりました。「ボタンを押すだけで仕事ができてしまう」状況というのは、元を辿れば、ウィトルウィウスに行き着くことになります。

彼は2つの新しい発展の道筋を拓きました。一つは肉体労働や熟練技術が、知的管理によって取って代わられたこと。そして二つ目は何か仕事をしようとするとき、いちいち必要な人手を計算する必要がなくなったことです。自然の力を有効利用できるようになり、機械が人々をストレスや労働から解放してくれたお陰で、私たちの生産的活動については、理論上の制限がなくなります。ただこれらの可能性を更に追求するためには、これまで何千年という月日がかかったし、まだ終わりが見えた訳ではありません。しかしこの長い道のりの出発点はどこかと聞かれたら、それはウィトルウィウスが考案した水車が始まりです。

この水車製粉は先進的な仕組みであったため、その原型が存在しなかったと言われても、俄には信じられません。ただそれが現存する水車製粉の記録としては最古であることは疑う余地のない一方、間接的な言及であれば、もっと古いものも存在します。初期のカーンが発見されたウラルトゥ王国のメヌア王は、紀元前8世紀に灌漑用の水路を建設し、詳細は不明ですが、そこには40基もの水車が設置されていたといいます。また歴史家ストラボンは、紀元前1世紀半ばの少し前、小アジアのカビーラにおいて水力を利用した製粉機について言及しています。そして更にその数年前、詩人アンティパトロスは、そのような省力装置(つまり水車)について、彼の叙情詩の中で描写しています。

またより簡単な仕組みの原始的なタイプの水車製粉は存在していましたが、これはそれ以前のものか、それとも後にどこか辺境の地で、単に単純化されただけなのか、その辺りははっきりしません。それは(図A)のような水車と石臼との間の歯車が介在しない、直接駆動方式の製粉機で、水車は水平に置かれ、小川もしくは用水路に設置されます。水が直接羽根に当たり、そこから垂直に伸びている軸に固定されている上臼を廻す仕組みで、水車と石臼は同じ速さで回転します。

もしこの横置き型水車の出現が、一般水車の登場前であれば問題はありません。つまりもっと効率の良い縦型水車を考案する前、もしくは力の伝達方向を変えるために歯車を発明する前であれば、論理的にも筋が通るし、実際、横置き水車はかなり広範囲に分布しているので、そう考えられなくもありません。しかしそれら多くは丘陵地域に点在し、そこでは流れの急な小川に簡単な構造の横置き水車がうまく馴染んでいるために、その田園地域の職人たちの存在が連想されます。つまり横置き型水車は、独立して存在していたと考えた方が自然のようです。

またバイキングたちはノルウェーからアイルランドまで遠征するときは、決まってこの横置き型の水車製粉機を携帯していたので、後に19世紀のイギリス人の古物研究家は、それはノルウェー人が考案したものと勘違いし「ノルウェー式製粉機」と命名しました。ノルウェー型の羽根は通常平らですが、ギリシア型のそれは水を効率よく捉えられるようスプーンの形状をしています。直接駆動方式の製粉機は小型のものしかなく、その直径は精々27インチまでで、ゆっくりと回転します。