#749フランス・ハンガリーそして現代の製粉方法②

一方、イギリスや特にアメリカにおいて流通していた単一品質の小麦粉は、言ってみれば全ての人々がひとつの標準品を使用すべきという考え方に基づいた平等主義の現れです。イギリスやアメリカの市場は、フランスの下級粉に対しては無関心であり、同時に高価な上級粉を購入しようという階層も少なかったのです。当時のアメリカにおいて、製粉技術が向上するということは、最高品質を追求することではなく、一定品質の小麦粉の歩留まりを上げることで、恩恵が全ての人々に平等に行き渡るということでした。

話は戻り、もし当時、フランスの東方に位置する、更に封建的なオーストリア帝国を訪れることができたなら、かなり奇妙な光景を目にしていたはずです。1825年頃のオーストリアやハンガリーの製粉工場においては、フランスの工場よりも、製粉工程が更に複雑になり、フランス人でさえ、「果てしなき製粉方法」と呼んでいました。この東ヨーロッパの段階式製粉方法というのは、一説によると84種類ものストックに取り分け、その夫々は、機械装置類はほとんど使用せず、人手によって次の工程へと運ばれていきます。

工場内には何百という小さなバケツが設置され、ストックの回収口には、必ずバケツが置いてあります。そして何十人という人々が、製粉主任の指示により、忙しそうにそのバケツを次から次へと移動させるのです。このさながらアリ塚のような不思議な光景を、初めて見た人は、きっと戸惑うに違いありません。しかしこのシステムは、個々の奇妙な行動を制御しながら全体としてはバランスを保ち、夫々の作業は必ず他の作業と密接に関連しています。もしどこか一つでもいじろうものなら、バランスをとるために必ず数多くの修正箇所が必要となります。

このハンガリー方式が実践されていた頃の製粉機械というのは、すぐに故障するため、絶えず誰かが監視している必要がありました。そこでは究極の段階式製粉方法を実践し、いくら手間暇かけて高価になろうとも、「白い小麦粉」を買い求める富裕層が、確実に存在していたのです。フランスよりも更に封建制度が進んでいたハンガリーでは、「皇帝の小麦粉」と呼ばれる、歩留り10%以下の特別な「白い小麦粉」が高価格で販売されていたといいます。

そんな面倒な製粉方法よりももっと簡単で優れた製粉方法はないものかと、その後様々な試みがなされました。現在のように十分な知識や設備がない時代にも、果敢にその可能性にチャレンジした研究者もいました。1871年、フランス人のサビルは、粉砕することなく小麦のでんぷんを直接分解する方法を開発しました。これは24時間でパン生地ができるという触れ込みでしたが、焼き上がったパンはひどい代物でした。また1904年にはイギリスで「アポストロフ方式」が試みられました。これは石臼に似た鉄製の粉砕機により、中心部分の胚乳を最初に取り出し、残りの表皮についた胚乳を化学的に分解させる方法です。この方法もうまくいったのですが、残念なことに誰もそのパンを好みませんでした。

1952年、ある著名な製粉技術者は、「将来は、面倒な段階式製粉に取って代わる、画期的な製粉方法が発明されるかもしれない」と予想しました。果たしてあれから70年が経過した現在、私達は未だに段階的製粉方法を実践しています。もちろん細部においては、大きな技術革新がいくつも達成され、小麦粉の品質は当時とは比較にならない程、格段に向上しました。しかし基本的な製粉方法は、当時と同じです。これから将来において、画期的な製粉方法が発明されるかどうか、とても気になるところです。