#712 麵の文化史・麵のふるさと中国③・・・最古の麵

水引餅を作ります【⑥最古の麵】
現在のところ間違いなく中国における麵の祖先と考えられるのは、「水引餅(すいいんべい)」です。水引餅の作り方は、『斉民要術』に登場します。斉民要術は、北魏末・東魏の人である賈思勰(かしきょう)が選者となってつくった書物で、530-550年頃に成立したと推定。賈思勰は山東省の豪族であり、斉民要術はこの地方の農業技術について記述し、また料理法や醸造技術についても述べられ、古代中国の農業技術についての基本文献となっています。この中で水引餅の作り方が具体的に説明され、これが確実な世界最古の麵の記録です。尚、青木博士は、「西普(265-317)初期の文人である伝玄の記述が、水引餅の初出である」と記述されています。

【⑦水引餅の再現事例】
1.塩で飲み頃の味付けに仕上げたブタの赤身肉のスープを用意。
2.コムギ粉とスープを捏ねた後、しばらく熟成させる。
3.手で箸の太さに延ばし、その生地を1尺(当時は約24cm)の長さに切る。
4.この細長い生地を2~3分水に浸した後、指もみしながら、ニラの葉のように薄く延ばす(これが水引餅のポイント)。
5.これを沸騰したスープに入れて料理する。きしめんよりも薄く、多少凸凹がありその不均一さの食感がおもしろい。

【⑧切り麵の出現】
餺飥(はくたく)は、水引餅と同様、コムギ粉をこね、親指ほどの太さに成形し、2寸ずつに切断し、水に浸して指先で薄く延ばしてから、煮たもので、形状はわんたんの皮に似ています。その餺飥の製法は『斉民要術』に記述されています。餺飥は、ほうとうに似た食べ物で、ほうとうという名称は、餺飥を日本でなまって呼んだことに起源するものでしょう。そして棋士麵や餺飥づくりには、刃物が使用されますが、麵棒の使用はみられません。

麺棒で延ばした生地を折りたたみ、刃物で線状に切ってつくる製麵法、つまり「切り麵」の技術については、唐代(618-907)になると資料がいくつかでてきます。不托(ふたく)と総称するコムギ粉食品が、唐代の記録に登場しますが、これは掌托(しょうたく)と対比される言葉です。「托」とは「手でものをおす」という意味で、こねたコムギ粉を手のひらで押して成形することを掌托といいます。

青木氏によると餺飥の餺は薄、飥は托に通じるので、餺飥は薄托、すなわち手で薄く延ばした餅となります。不托は手のひらを使わないコムギ粉食品つくりの技術のことなので、おそらく麵棒を使用して生地を延ばす方だと推測されます。『雲仙散録』という文献に切り麵らしき「剪刀麵」という名称が引用されているなどを根拠に、青木氏は唐代に切り麵が存在していたことを考証しています。

唐代に麵が発達した背景として①コムギの生産量の増大と②碾磑(てんがい)の使用があります。華北平野では2年3毛作という農法が成立し、コムギが大量に生産されるようになりました。従来は、人力もしくは畜力で石臼を回転させていたので、粉食はぜいたくな食品でした。しかしシルクロードを通り碾磑が西域より伝えられると、水力の利用が可能になり、製粉が機械化され、その結果、コムギ粉がコストダウンされ、民衆が粉食をできるようになり、長安の都では揚げパンの露店まで並ぶようになりました。

【気づいたこと】
最古の麺は、6世紀頃に登場した「水引餅」。これは細長い生地を2~3分水に浸漬させた後、薄く延ばすのがポイントです。また刃物が使用される餺飥も同時期に登場しますが、これはまだ麺棒を使用していません。青木氏によると麺棒を使用した本当の意味での「切り麺」は、唐代になってからです。現在は、手延素麺といえば高級麺の代名詞ですが、最古の麺も手延麺ということになります。道具がなかったので、手で延ばすしか他に方法がなかったのです。