#708 製粉用道具の登場④・・・発酵食品の発明

古代人もびっくり穀物を利用し始めると、種まきから刈取りまで、またそれを挽いて篩にかけるまでの全ての段階で、様々な工夫をするようになりました。そしてその内に重要な進歩が起きます。それはパンを焼くのと醸造技術が偶然重なり、発酵食品つまり本物のパンができたのです。「パン(bread)」と「醸造する(brew)」という二つの言葉は似ていますが、それらは「broth(スープ)」、「boil(ゆでる)」、「burn(焼ける)」などと同様、語源は全て同じで、その根本は「発酵」という考え方になります。

今日私たちはパン生地、つまり小麦粉に水を加え、それに発酵剤であるイースト菌を加えてパンを焼きます。そして適温の下、イースト菌や小麦粉に含まれている酵素(精密な活性剤)が生地の中のでんぷんや砂糖に作用して、アルコール発酵を起こし二酸化炭素を発生します。発生したガスはパン生地を膨らせますが、生地の中にはゴムのような粘弾性をもつグルテンも含まれていて、それが延びて立体網目構造を形成し、膨らんだ生地を支えます。しかしこの光景は、最初に目撃した古代人にとっては不可解な事実だったに違いありません。つまりパンは実に幸運な偶然によって発見されたのです。

私たちは、いつどこでどのようにしてパン生地が発酵してパンになったのかは知るすべもありません。当時農業に携わっていた人のほとんどは、ビールやワインを醸造していて、その麦芽発酵酒の泡やあくなどが、きっとパン種に使われたのでしょう。エジプト人やメソポタミア人はきっと早くから膨らんだパンに慣れ親しんでいたはずですが、かといってそれは現代のふわふわしたパンではなく、どちらかと言えばトウモロコシ・パン、マフィン、もしくはビスケットのようなものでした(#693、画像参照)。ヘブライ人たちもエジプトに立ち寄った後は、このパン種を使うようになります。しかし祭事用に使用されていたパンは、従来からの相変わらずパン種の入っていない、よって膨らまない流行遅れのものでした。大麦はローマ時代のかなり遅くまでは重要な穀物でしたが、大麦では本物のパンはできません。というのは、酵素の活動によって膨らんだ生地を支えることができるたんぱく質は、小麦とライ麦にしかないからです。

この発酵という技術が、いつどこで確立されたのかは不明ですが、少なくとも現在のパンと比較できる程度の水準のものを作り上げたのはローマ人が最初と言われています。彼らは小麦粉の品質に着目し、また篩分けを実践することによって、この水準にまで到達しました。ただローマの古き良き時代においても、このパンは誰の口にでも簡単に入るものではなく、まだまだ高級品でした。当時のパンは、少し盛り上がった、どちらかといえば大きめのロールパンのような格好をしていますが(#693、画像参照)、この事実は火山噴火によって埋没したポンペイ遺跡からの出土品によって判明しました。このローマ人による発明は確かに素晴らしいものでしたが、ただこのパンは、水に沈む程重かったと聞けば意外に思うかもしれません。

当時の農具は、現代の水準とは比較にならないほど稚拙なものです。製粉道具も同様で、小さく非効率的で専ら家庭用でした。サドルストーンで一日中挽いても8人家族を養うのがやっとで、焼き上がったパンは我々現代人の感覚からすれば貧素です。しかしアード(鋤)やサドルストーンを上手く使いこなし、パンを焼けば、群衆を養うことが可能で、それはやがてメソポタミアやエジプトに浸透し、最初の大帝国文明を形成するようになります。

これらエジプトやメソポタミアの共同体は言わば穀物帝国です。毎日せっせと働いている何百万人といった人達にとっては、食肉などはほとんど無縁であったに違いありません。彼らの生活は、肥沃な土壌ができるかどうかにかかっていて、毎年の収穫量が彼らの社会様式だけでなく、彼らの考え方さえも左右しました。つまりこれらの二大流域においては、穀物は人々の生活の根幹だったわけです。