#700 農具の登場①

農業が始まった時期はわかっていて、それは新石器時代です。「新石器」と名前がつくと誤解されそうですが、その時代には見事に均整がとれ、また洗練された石器が作られ、それらは生き残るための大切な道具となります。だからそういった考古学上の名前がついたのも無理からぬところです。しかし当時起きていた真に重要なことは、石を加工する新技術そのものよりも、種を植え収穫した穀物を加工することに夢中になっていたという事実です。そしてこの穀物の生産加工の中から新しい道具、技術、そして生活習慣が生まれていきます。

原っぱに生えている野生小麦の世話の第一歩は、それを被っている草などを取り除き、小麦が自由に成長できるように空間を確保してやることですが、それには普通の手斧があれば充分でした。その後、種を播くようになると、開墾してきちんと種を播いた方が、収量が多くなることがわかってきました。そのためには地面に穴を開ける必要があり、それには「堀り棒」と呼ばれる簡単な溝掘り用の棒が使われます。この「堀り棒」は農具と呼ぶにはあまりに原始的ですが、それでも結構役に立ちました。その内に硬い地面よりも柔らかい土の方が、よく育つことがわかり、再び手斧を使って地面を掘りかえすようになります。これが耕作の始まりです。

あるとき地面を掘り起こしていると、刃の側面の方を柄に取り付けると効率がいいことに、誰かが気づきました。つまりその人が鍬(くわ)の発明者です。文明の初期においては多くがそうだったように、鍬の技術も、主に女性の手によって継承されたと想像されます。そしてその技術は、周辺地域には大抵の場合、牧草を捜し求めて移動している遊牧民によって広められます。そのうち農具もだんだんと大型化や効率化が図られるようになります。一方、休耕することによって土地が活力を取り戻すことがわかり、また施肥の重要性も理解されるようになりました。その結果、ドナウ川流域のような肥沃な土地でも、施肥をしないと2、3シーズンしかもたないこともわかりました。そしてこういったことを理解しながら、ようやく定住農業のありがたさがわかるようになります。

鍬は、刃を上から振りかざし、自分の身体の方に引くようにして使います。鍬を使うと、掘り返された土が手前に引き寄せられます。また鍬とは違った掘りかえし方法も可能です。刃の部分を少し広げ、取っ手の延長線上にそれを取り付け、地面にぐいっと押し込むと、土が前方に持ち上げられてひっくり返ります。つまり堀り棒のもう一つの応用として、鋤(すき)が発明され、それにより深くそして確実な耕作が可能になりました。そして鋤には更に改良が加えられ、最終的にプラウ(犂(すき))になり、それまで踏み込んで使っていたものが、人力もしくは動物によって前方に引っぱられる道具に変わりました。

つまり原始的な「堀り棒」から鍬が発明され、更に改良されて鋤や犂となります。日本語では鋤と犂は読みが同じ「すき」なのでややこしいですが、簡単にまとめると次のようになります。

鍬(くわ)・hoe(ホー)・・・柄のついた刃を上から振りかざし、自分の手前の方に引きます。
鋤(すき)・spade(スペード)・・・スコップのように柄の部分を握り、刃の部分に足で体重をかけ、踏み込みます。そして持ち手を手前に引き、土を掘り起こします。
犂(すき)・plow(プラウ)・・・牛や馬などに引かせて、土を掘り返す道具です。