#673 オリバー・エバンス③・・・ホッパー・ボーイ

エバンスが発明した数多くの製粉関連機器の中で、彼が最も誇りに思っていたのは、挽いた粉を冷却させるホッパー・ボーイ(図の18)という装置です。当時、アメリカで実践されていた粉砕方法は、旧式のアメリカン方式もしくはフラット粉砕方式(flat-grind system)と呼ばれていた方式で、これは上臼と下臼の間隙をほとんど空けず、小麦を一回で挽き切る方式です。このため石臼からでてきたストックは、熱を持ち湿っぽくしかも表皮部分は著しく細切れになっているため、冷却せずにそのまま篩にかけると、すぐに詰まってしまいます。これを避けるため、従来は一旦ショベルで床上に広く延ばして乾燥させ、その後集めて篩にかけていましたが、当時の乾燥スペースは狭く、とても満足できる環境ではありませんでした。

エバンスの方式は、先ず石臼から排出されたストックを一度コンベアで集めた後、エレベーターで持ち上げ、それをホッパー・ボーイまで運びます。ここでは床に対して垂直に立った軸が、毎分4回転の速さで回りながら、その軸の下端近くから張りでた熊手状のアームが床面に軽く触れながら円運動をしています。エレベーターで運ばれたストックは、その外周部分に落とされ、アームの回転によって拡散されながら冷却されます。そしてストックはそのアームによって徐々に中心部分にかき集められ、篩に通じる穴に落下する仕組みになっています。このとき分銅の調整によって、ストックをかき集める速さを変更できるので、冷却時間を長くしたり短くしたりすることが可能です。

1808年の特許明細書によると、エバンスは石臼からでてきたストックを乾燥させることの重要性を、従来よりも一層強調しています。そしてその方法としてエレベーター投入前の、コンベア搬送内における、ストーブもしくは乾燥窯によるストックの熱風乾燥を提唱しています。エバンスによると、それまでの製粉所では、小麦そのものを熱風乾燥させる方法が実践されていましたが、それだと小麦の粒を脆くしてしまい、表皮部分が粉と混ざり合ってしまうので、彼は支持しませんでした。エバンスが提案したストックの熱風乾燥は主流にはなりませんでしたが、ホッパー・ボーイは、旧来のフラット粉砕方式を採用していた製粉所ではよく採用されました。しかし19世紀も半ばになると石臼の間隙を広げた、所謂新方式(New Process)の台頭と共に徐々に姿を消していきます。

エバンスはまた二重の回転網(ロールスクリーン)を利用した精選方法も実践しました。これは内側の回転網のメッシュが小麦より大きく、よって小麦より大きいものだけがトラップされます。また外側の回転網のメッシュは、小麦より小さいので、結局小麦は両者の隙間から押し出されることになります。当時フランスでは既にこの方式が採用されていましたが、手動式しかありませんでした。こうやって不純物が取り除かれる一方、回転網から押し出された小麦は、ファンからの強い横風にさらされながら3フィート以上下方に落下します(図の11)。よって良質の重い粒は、真下にある石臼行きのコンベアに落ち、軽い粒は選別箱まで飛ばされ、必要に応じて再度精選されます。そして麦わらなどの軽いものは更に隣の箱まで飛ばされ、もっと軽いほこりなどは屋外に放出される仕組みになっています。

石臼から排出されたストックを篩うエバンスの技術は、当時としては非常に精巧でしたが、反面非常に高価でした。篩機の下は幾つかに仕切られて、かなりの部分は絹の網目を通過した後、出荷用保管庫に貯蔵され(図の20)、樽詰めされます。エバンスの工場ではここで初めて、人手を介した作業が必要となります。篩を通過しなかったストックは、テール粉(tail flour)やミドリングス(middling)などを取り分けるために、再度別の石臼に戻され粉砕されます。