#541 さぬきうどんのミッシングリンク③

f541【②大麦と小麦の名前の由来】
「日本の水車と文化」によると、水車が一般社会生活に普及しだすのは、江戸時代になってからですが、当時の用途は油絞りや酒造りが主体で、小麦製粉は僅かであったようです。精米や製粉用に水車が全国的に利用されるようになるのは明治時代に入ってからということで、水車製粉の歴史は考えているよりもかなり新しいかも知れません。もちろん人力による石臼製粉は、以前から行われていたに違いありませんが、人力による生産量は限定的で、よって小麦粉食品は主食にはならなかったと考えます。

小麦粉がその時代の人々の生活にとってどのくらいの重要であるかは、その名前の由来を辿るのも一つの方法かと思います。みなさんは「なぜオオムギが大麦で、コムギが小麦なのか?」と考えたことはありますか。単純にオオムギの粒が大きくて、コムギの粒が小さいからと思われるかも知れませんが、実際はコムギの方が大きいくらいです(#285)。では「なぜオオムギが小麦で、コムギが大麦でないのか」という疑問が湧きますが、小麦の名前に由来については、以下のように諸説紛々で、真偽は不明です。

・仮説①・・・「大麦」「小麦」の呼び方が一般的になったのは、唐の時代。当時のコムギの種子は現在のよりもずっと小さく、オオムギの種子は大きかった。つまり種子の大きさにより名前が決まったとする説。

・仮説②・・・芽生えの頃の葉は、オオムギの方が大きいからという説(以上コムギの話@NBRPより)

・仮説③・・・   古くからある麦という意味(古麦)という説、もしくは粉として使う麦(粉麦)という意味だという説(?小麦の日本での事情?)。

・仮説④・・・存在価値の違い。つまり昔(命名された当時)は大麦の方が小麦よりも利用価値が高く、よってその存在価値が大きかったからとする説。つまりメジャーな麦とマイナーな麦です。

職業柄でしょうか、個人的には仮説④が気に入っているので少し補足説明いたします。オオムギは皮を削ってご飯に混ぜたり、麦茶、味噌、醤油などの原料に利用したり、昔の日本の食生活にとって不可欠でした。大麦が支持されたポイントは、それが粒のまま利用できたことです。一方小麦は挽いてから胚乳部分を取り分ける必要があります。石臼で挽き、篩いにかける作業は、口でいうのは簡単ですが、小麦をすり潰してしまうと表皮部分が小麦粉に入りすぎるし、篩いも目開きの調整、そして篩い作業自体も大変です。小麦は胚乳を取り出し、粉にしてこそ利用価値がありまが、良質の小麦粉を取り分ける作業は、技術的にも肉体的にも大変でした。

更にもう1点指摘したい点があります。小麦は内部の胚乳部分が脆く、表皮部分は強靭な食物繊維であるため、その構造上小麦粉にはある程度の「ふすま片」の混入は不可避です。そして厄介なことに、この食物繊維はゆでただけではビクともせず、喉を通過するときには不快な「イガイガ感」として残ります。現代は「段階式製粉方法」という1粒の小麦を50種類に取り分ける面倒な方法を実践していますが、これは、「ふすま片」の混入を避けるためです。

ところがこの厄介な「ふすま片」も、焼くと「パリパリ」になるため、それほど抵抗はありません。パンのような「焼き上げる食品」を「焼成食品」といいますが、焼成食品には多少のふすま片が入っていても問題にはならず、古代からパンが食されているのもこれが大きな理由だと思います。

以上により、ゆでて調理する「うどん」が食されるようになったのは、江戸時代辺りからと推測するのが妥当かと考えます。しかし弘法大師や中車の時代に思いを馳せながら、うどんを啜るのもロマンがあり、それはそれで素晴らしいことです。