#275 東日本大震災お見舞い申し上げます

この度の東日本大震災の被災につきましては、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災に遭われた方々には、謹んでお見舞い申し上げます。

1995年1月17日早朝、家の中がガタガタ鳴った阪神淡路大震災から16年、よもやこれ以上の震災が起ころうとは夢にも思いませんでした。地震もさることながら津波の被害は凄まじく、映像をみながらスマトラ沖地震を思い出しました。日本ではそんな大きな津波なんてくるはずもないと、根拠もなく思い込んでいた自身の不明を恥じます。加えて甚大な被害を被った原発は、その後の危機回避に向けて現場担当者の方々による不眠不休の努力が続いています。そして誰もがその経過を固唾を呑んで見守りながら、何とか大事に至らずに済んでほしいと願わずにはいられません。

つくばに住む友人からは、「停電と断水を余儀なく強いられ、近くの公園まで大きなポリタンクを抱えて何度も往復し、電気や水道が使える生活のありがたさを痛感しました」とのメールがありました。またある友人は「水戸の偕楽園沿いの路面は、波打っていてまるでスケボーの練習場のようだ」と表現し、「日本家屋では大棟と呼ばれる屋根頂部の水平な棟が、見事に落ちている家がたくさんあった」とのことでした。しかし三陸海岸沿岸の津波による被害とは比較にならず、本当に今回はつくづく津波の怖さ、恐ろしさが身に沁みました。

また被災地域の中にも、それぞれ地元の製粉会社の方が何人かいらっしゃいますが、状況を聞くにつれ身につまされる気持ちです。岩手のある工場は、幸い工場自体の被害は軽微であったにも拘らず、仙台港の穀物サイロが甚大な被害を受け操業休止を余儀なくされました。またある工場は、機械修理のために出張要請をしたところ、原発の退避勧告地域外であるにも拘らず、ただ福島県内であるという理由で当初拒否されたというお話も耳にしました。

ところで今回の大震災はとっても難しい問題をはらんでいると思います。新聞記事によると岩手県宮古市では、1933年の大津波による被害の後、高さ10m総延長2400mの巨大な防波堤を建設しました。この巨大建造物は「万里の長城」との異名をとり、それ以後ご当地自慢の防災設備であり、そして安心の拠り所でした。しかし今回の大津波であっさりと呑み込まれ何の効果もありませんでした。この100年いや1000年に一度とも言われる津波は、高さが15mいや20mもあったとも言われています。そしてこのような巨大津波を想定して防波堤を建設するには、工事金額は何兆円かかるか想像がつかないし、巨大な防波堤が延々と続く風景は余りに現実離れしているようにも思います。

これに関連して思い出されるのは、昨年の事業仕分けで問題になったスーパー堤防です。これは200年に一度の洪水を想定して、巨額の費用を投じ、しかも400年かけて事業を行うことはあまりに非現実的だとして見直しになりました。400年後にそもそも日本が現在の状態を維持しているかどうかは別にして、国家財政が破綻寸前のときに巨費を投じて200年に一度の水害に備えることについては議論百出は必至です。

現在日本において発電エネルギーの原発依存率は30%程度です(原発依存率が一番高い国はフランスで、全発電量の80%近く)。これが高いか低いかは判断が分かれますが、危ないといわれながらも30%にまでも伸びてきたのは、石油に比べて低価格であるとか、エネルギー資源の一極集中は危険だなどの理由があると思います。もし今回の震災が起こらなかったとして、突然石油が枯渇したり、中東で戦争が勃発していたとしたら、今度は逆に「なんで原発比率をもって上げていなかったのか」という議論もでてきたかも知れません。そして「温暖化反対とかCO2削減」という声と共に原発推進派の方に更になびいていたかも知れません。

いずれにしても今回の大震災によって、改めて色々なことを考え直させられました。そして重ねて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。