#539 さぬきうどんのミッシングリンク①

f539「さぬきうどんのルーツは?」と聞かれると、さぬきの人間であればほとんどが、「弘法大師・空海」と答えます。「806年(大同元年)、空海は唐よりうどんの製法を持ち帰った」との言い伝えがありますが、これは空海伝説と言われているように、確証があるわけではありません。また「混沌(こんとん)」なる小麦粉食品の製法を持ち帰り、それが転じて「饂飩(うんどん)」そして更には「うどん」になったかも知れませんが、果たしてその混沌なるものがうどんを連想させる食品であったかどうかは不明です。

ところでさぬきうどんのルーツを探る手がかりとして、水車も重要な存在です。昔は水力が貴重な動力源であり、石臼を効率的に稼働させるためには、水車が不可欠でした。よって水車のルーツを辿ることで、うどんについても情報が得られます。そして讃岐最古の水車としては、旧滝宮村の中車(仁和年間、886年頃)が有名です。「さぬきうどん発祥の地は滝宮である」という説は、この中車の存在が拠り所です。「讃岐の水車(峠の会編)」には384基の水車が掲載されていますが、その最古の水車は当然「中車」になります。ただ「中車」も伝聞証拠だけで史実はありません。そして中車の次となると、時代は一気に江戸時代まで飛んでしまうため、「最古の水車・中車説」も推測の域をでません。

f539_2では讃岐うどんの歴史としての確実なエビデンスはというと、海の神様である金毘羅さんに所蔵されている元禄年間の「金毘羅祭礼図」屏風があります(1688~1703年)。これは金毘羅大権現の大会式(例大祭)当日の様子を描いた六曲一双の図屏風で、左隻には二王門(大門)から本社に達するまでの山上の風景が、右隻には頭人行列や門前町など山下の有様が描かれています。そして特に興味深いのは、その屏風の中に3軒のうどん屋さんが描かれている事実です。

余談ですが、ここに描かれているうどん屋さんの軒先には「招牌(しょうはい)」と呼ばれる看板がかかっています。現在、香川県では、うどん屋さんに対して「さぬきの夢こだわり店」という認定制度がありますが、こだわり店になるには、①年間を通じて、香川県産小麦「さぬきの夢」を100%使用したうどんを提供していること、そして②「かがわ農産物流通消費推進協議会」が認定しているという2つの条件を満たすことが必要です。そしてめでたく認定店になると、香川県より招牌(画像参照)が授与されます。

f539_3たこれ以外の史実としては、正徳2年(1713年)に出版された「和漢三才図会」があります。これは寺島良安なる医者が約30年かけて編纂した全105巻81冊にも及ぶ、江戸時代の百科事典です。その小麦の項には、「諸国みなこれあるも、讃州丸亀の産を上とする。」との記述があります。つまり今から300年前には、讃岐小麦の品質は全国的に認められていたことになります。もちろん小麦粉を使った食品には、うどんや饅頭など色々ありますが、金毘羅祭礼図にうどん店が3軒も描かれている事実から、うどんにも使用されたと考えて間違いないと思います。

これまでご紹介した歴史上の4点の出来事(①空海伝説②最古の水車・中車説③金毘羅祭礼図④和漢三才図会)については、③と④は事実であるのに対し、①と②はその詳細は不明です。そしてその2つのグループの間には800年もの時間的な隔たりがあり、そこにはさぬきうどんの大きなミッシングリンクがあります。つまりさぬきうどんの起源は、金毘羅祭礼図時代の300年前までは、まず間違いないところですが、それ以前については「何とも言えない」というのは妥当なところだと考えます。郷土歴史家諸氏の皆様方には、なんとかこのミッシングリンクを少しずつても繋げていただきたいと切望する次第です。

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