2015年4月のお知らせ

m2015043月17日の朝、あたり一面、白い霧でおおわれていました。まるで「牛乳びん」の中に、「すっぽり」と入ったみたいです。淡い霧の中から、自動車のライトの灯りがこぼれてきます。幻想的な光景です。

会社の前の道路沿いにある、古い一軒家が、取り壊され始めました。瓦の細工は繊細で、このようなデザインの瓦は、もう製造されることができないと思います。時の経過とともに、瓦の色も風合いを帯びています。家の骨組みが見えてきました。「太い木」が一本、そのまま「梁」に使われています。半世紀以前に建てられた家でしょう。道路沿いに、当時の情景を思い辿ってみました。

座布団を持参して出かけた北村きたむら映画館。正座したり、寝転んだりしながら映画を観ました。思い出に残る映画は「モスラ」。もりくに写真館のおじさんは、(病院のお医者さんのような)白い服を着て、仕事をしています。大きくて、頼もしい松山まつやま診療所の先生。「さあ、BCG接種の注射をしますよ~」と小学校に来ます。「ぐっ」と我慢して、予防接種を受けます。

会社の隣の高屋たかや郵便局では、沢山の局員の方が働いています。赤い自転車に乗り、郵便物を配達しています。「ちりりん・・」という自転車のベルの音が、軽やかです。夏の夕暮れどき、時計店の前では涼み台が置かれ、みんなで夜空を眺めます。ソビエト連邦の宇宙開発計画が始まった頃で、「あの輝いている光は、星・・?人工衛星かな・・?」と言いながら、夜空を眺めました。中村なかむら文房具店は、文房具用品だけではなく、駄菓子も販売しています。百十四銀行の高屋たかや出張所の内部は衝立ついたてもカウンターも、すべて「木」で作られていたと思います。

松山まつやま農協は現在も、町の中心的存在です。原田の加治屋かじやさんのふいごからあふれ出る「火」の強烈な赤色。昔、農家にとって、すきかまは大切な道具であり財産でした。加治屋さんは、それを作ったり、打ち直して道具の機能を長持ちさせてくれます。鞴は、金属を溶解させるために、火に空気を送り込む道具です。原田はらだの自転車屋さん、佐藤の散髪屋さん。醸造と販売を兼ねた小原酒店おばらさけてん藤原ふじわら酒店は、道路を挟んで向かい合っています。道端から中を覗き込むと、仕事の帰り道でしょうか!?自転車を止めて、おじさんがカウンターの手前で、コップ酒を飲んでいます。飲酒運転にはならないのでしょうか(笑い・・)。子ども心に憶えています。

実は、私たちの会社は小原酒店の酒蔵の一角を借りて、事業を始めました。大人が10人ほど入ることのできる木の酒樽がたくさんありました。乾かしていた酒樽の中で遊んで、叱られました。2人の女性が切り盛りしていた和割烹福屋ふくやさん。おうどんの鰹節出し汁が美味です。松山タクシー。福家菓子店は、私にとって夢のようなお店です。岡田豆腐店からは「油揚げ」の香ばしいかおりが流れてきます。沖青果店・でぼやレストラン・こめや衣料店・村上陶器店・谷原青果店・吉川薬局そして岡内書店。小学校の課外授業から、谷原たにはら映画館にて「安寿あんじゅ厨子王ずしおう」を観ました。すごく悲しい物語だったことを覚えています。現在、高屋郵便局・中村文具店・松山農協が営業しています。

思えば、当時の方たちは様々なアイデアを試行錯誤しながら、(今を生きる私たちよりも)仕事や毎日の生活に意欲的に取り組んでいたのではないでしょうか!だって、こんなに沢山の商店が営まれていたのですから・・。東京に住む従妹が、「今も、前が突き出たボンネット・バスが走っている!?」と言います(笑い・・)。「幼い頃は、こんなお店があったね」と友人と話しているうちに、「50年前に戻った感じね」とノスタルジーな想いに駆られました。

4月のお休みは18日(土曜日)・29日(昭和の日)そして日曜日です。

夜明けの薄暗い空気の中から、雨音が聞こえてきました。暖かい、そして優しい「春の雨の音」です。春の季節が、ゆっくりと訪れています。