2014年7月のお知らせ

m201407「雨」の季節。日本は、年間の傘の購入数が、世界一だそうです。その数、1億3000万本。国民一人当たり、1本は購入することになります。あたなは今、何本の傘をお持ちですか・・?

4年毎に開催されるサッカーのワールド・カップが、6月13日(日本時間)から南アメリカのブラジルで開催されました。1930年に始まり、日本は1998年のフランス大会にて初出場しました。日本からは、地球の裏側に位置するブラジル。国土は日本の23倍、人口は約2億人。日本からの行き方は、成田空港→アメリカのダラス(12時間)→ブラジルのサンパウロ(10時間)。ブラジルまでの飛行時間だけでも「一日」を要します。選手たち・サポーターの方たちの体力と力強い精神力に脱帽です。サッカーを通して、ブラジルの土地に様々な想いを馳せている人々がいます。

日本がコート・ジボワールと対戦した「レシフェ」という港街。半世紀前、日本人移住者がレシフェの街から下船しました。(6月11日付の朝日新聞から)当時11歳だった堀坂ほりさかこう太郎たろうさんは、家族3人で神戸港から移民船「あめりか丸」に乗って、ブラジル大使館に赴任している父親の元へ出発しました。「出航の汽笛が鳴り、五色のテープがちぎれても、じっと母国との別れを惜しむ(移住者たちの)姿が忘れられません」。パナマ運河を抜け、40日あまりの船旅でした。現在、日系ブラジル人は150万人と推定されています。レシフェでの初戦は、(現地時間)夜の10時に始まりました。気温は30度、湿度は77%(昼間の暑さは、想像できません)。

「持久力・スピード・判断力」が求められる審判団。高知県出身の名木利幸さんは、小学校でサッカーを始めましたが、選手としてではなく、審判員としての「希望」を抱くようになりました。ほぼ毎日、2・3時間は走り、「ワールド・カップで審判を務めることが、僕の最終目標です」と周囲に伝えていたそうです。そして、ブラジル大会の開幕戦に副審として登場しました。国際サッカー連盟の規定により、国際審判員の定年は45歳。名木さんにとって、最初で最後のワールド・カップとなります。あなたにとって、「サッカーの魅力」とは何でしょう!!90分の間、休むことなく選手たちがピッチを走る姿から「熱い志」が伝わってきます。両チームの選手たちがピッチに登場する前に、エスコート・キッズたちと手をつなぎ、試合に臨む瞬間の光景が好きです。選手たちの緊張した表情と、子供たちの「きらきら」とした眼差し。11人の日本の子供たちが、日本・ギリシャ戦との試合前に登場しました。

エスコート・キッズの一人、西谷にしたにくん(高松市の小学校2年生)の作文です。「ぼくは、サッカーの練習に行っています。ぼくは、他の人より体が小さいので、ぶつかると、すぐ転んでしまいます。でも、たくさん練習して、長友せん手のように強いせん手になって、世界で活やくしたいです」。本田圭佑選手と手をつないだ藤城哲成君(東京都の小学校3年生)は「頑張って!」と伝えると、「おす!!」と返事をしてくれたそうです。広いピッチの中央に選手たちと並び、ブラジルの空気を感じる子供たち。大きな「夢」が広がっていると思います。40年前、ラジオから、ある聴者の「お便り」が心に残ります。「私の目的は、4年毎に開催されるサッカー・ワールド・カップを見に行くことです。そして、4年間、開催国の言葉を学んで準備します」。サッカーが主流スポーツではなかった当時、サッカー競技のみならず、開催国の文化や人々を理解しようとする「この言葉」のスケールの大きさを、時とともに感じています。

7月のお休みは、21日(海の日)・26日(土曜日)そして日曜日です。

「ド ド ドッー」。この音をどのよう表現したらよいでしょうか! 大きな車輪が回りながら、耕運機が力強い音とともに道路の真ん中を走っています。田植えの季節です。首輪のついた「わん君」が、不安そうな顔をして歩いています。迷子になったみたいです・・。日差しが強くなります。おからだ、大切になさって下さい。