2011年1月のお知らせ

明けまして おめでとう ございます!

「うさぎ」の年の始まり!今年もよろしく お願いいたします。

去年、7月19日の「海の日」から100日間、瀬戸内国際内芸術祭が開かれました。瀬戸内海に浮かぶ直島・豊島・女木島・男木島・小豆島・大島・犬島を巡る旅です。建築家の三分一博志さんは15年前、犬島を訪れたとき「犬島には、日本の歴史が凝縮されている」と感銘を受け、以来、犬島に住んでいます。初冬の日曜日、「日本の歴史が凝縮されている」という言葉に魅かれて、私は犬島を訪ねました。高松から直島へ、そして小さな船に乗り換えて犬島に到着(約2時間。岡山県の宝伝港からは約15分です)。

古くから犬島は「石の島」として花崗岩を産出しました。江戸城や岡山城の石垣・鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居は、犬島から切り出された石が、使われています。1909年、銅の精錬所が開設されましたが、銅の価格の暴落により、わずか10年で操業は終えました。

今回、「銅の精錬所の廃墟」が「芸術作品」として生まれ変わりました。既存の高くそびえる煙突を利用して、館内の空気を循環させ、快適な室温が保たれるよう環境に配慮された施設です。館内の出発地点では、「太陽をイメージした」オレンジ色の動画が私たちを迎えてくれます。そして迷路のような細い路を一列になって歩きます。暗い通路の中、目が慣れるまで「よちよち歩き」でした。曲がり角ごとに大きな鏡が配備されているので、路は一直線に続いているかのように見えます。路を曲がれど、曲がれど、前方には「光」が見え、振り返れば「太陽の動画」が追いかけてきます。不思議な空間です(言葉で説明するのは、難しいです)。

迷路を抜け出すと、巨大な犬島特有の花崗岩が置かれている部屋に出ます。そして、作家の三島由紀夫さんが30代の時に過ごした東京・渋谷の家が再現されています。「なぜ、三島由紀夫さんの家なのですか?」との問いに、「日本の近代化に貢献した精錬所跡と、戦後日本を代表する作家・三島由紀夫さんを重ねて考えたかったからです」との答えでした。ほんのりとした裸電球・陶器製の電気のコンセント・少しくもっている窓ガラス。「くるくる」と手で巻いて締める鍵。製造した職人さんの心意気が伝わってきます。精錬所跡の広い敷地に出ました。真直ぐに空に伸びている煙突と対照的に、建物の外壁だけが残っています。黒っぽいレンガのような材質。ときおり「きらきら」と光っています。資材置き場・発電所だったそうです。精錬稼働時の写真を見つけました。黒い煙が空いっぱいに流れています。

現在、約60人の方が、犬島に住んでいます(1900年初めは3000人)。80歳ぐらいの男性たちが、「日向ぼっこ」をしています。「この花、ダリアですか?」と尋ねると、「そう・・大きいやろ。この花は、みんなを待ってたんや」と。島の所々に「うさぎの耳」の形をした椅子が置かれています。かわいい!!大好きになりました。気持ちがゆったりとしてくる自分に気付きました。なぜ!?自動車のエンジンの音が聞こえないせいでしょうか・・。

お昼ごはんのメニューに「犬島ぜんざい」を見つけました。かぼちゃと「○○○○」がはいっています。何だと思いますか?答えは「そうめん」!隣の女性が犬島ぜんざいを食べていました。「あの~、本当におそうめんがはいっていますか?」。「はい、ほらっ!おいしいですよ」。友人は、「讃岐のお雑煮と同じ味覚だと思うよ」と言います(讃岐のお雑煮は、白味噌仕立てのお汁に、大根・金時人参・お豆腐、そして小豆餡のお餅をいれて出来上がりです)。瀬戸内海で生まれ育った私は、今回「瀬戸内海の島々には、たくさんの宝物が埋まっている」と再確認しました。 

1月のお休みは 1~4日(年始のお休み)、10日(成人の日)、29日(土曜日)
   それと日曜日です。

今年も皆様にとって、健康で楽しい一年でありますように・・!!

木下製粉株式会社  平成23年1月1日