2010年9月のお知らせ

夏の季節・・どんな光景を思い浮かべますか!? 夜明けとともに「蝉せみ」たちが鳴きはじめます。幼いころ、家の居間には「スイカ」が20個くらい、ゴロゴロと転がっていました(父が大好きでした)。思い出すと、笑いがこみあげてくる光景です。

時おり、お客様から先代社長との思い出を聴く機会に恵まれます。「終戦後、大八車に小麦を積んで来て・・小麦の賃加工をしてもらった」と、吉林さんとの会話が始まりました。吉林さんは昭和19年(当時16歳)、海軍を志願して横須賀海軍通信学校に入り、「電測」を学びました。電波を発して、電波の波形で相手の位置を調べるのだそうです(もちろん、日本国の物か、相手国の物かは判断できません)。通信学校を卒業後、佐世保海兵団から、輸送船「室戸丸」で沖縄本部に行くように命令が下りました。しかし、昭和19年10月1日、沖縄が空襲を受けたために、室戸丸は出航できませんでした。

昭和19年11月はじめ、室戸丸は沖縄に向けて再び出航しました。吉林さんも室戸丸に乗船していました(乗船員は約2000人)。夜明けの5時半頃、室戸丸は敵潜水艦より魚雷2発を受けました。1発目は船の中央部に・・。2発目は中央から少し離れて・・この時点で船体は垂直になり、急に沈んでいきました(海軍学校で、常に船が沈没することを想定に、教育されたそうです。もし、船が沈没したら、とにかく50メートル泳いで、船から離れること)。海に飛び込むと、幸運にも1本の材木が流れてきました。両脇を木にかけて・・後は流れるままに、身を任せたそうです。

「11月の海でしょう・・寒くなかったですか!?」。
「もちろん、寒かった。首から上だけが海面に出ていて、体のほうは感覚がなかった・・」。
「あの・・失礼ですが・・他の方たちの様子は、どうでしたか!?」。
「最初は、大勢の人がおったけど・・後は・・。昼頃には、私一人が材木にぶら下がっていました。どこを見ても島一つないところやった・・」。

太陽が水平線に沈む頃、頭の上を小型飛行機が一機、通り過ぎました。吉林さんは、飛行機に「日の丸」が描かれているのを、はっきりと見ました。そして、間もなく漁船が来てサーチライトを照らしながら、命綱を付けた船員の方が海面に降りて来て、吉林さんの体をしばり、引き揚げました。そのとき、寒さのために「体」はほとんど感覚がなかったそうです。石炭燃料の漁船の中で、石炭の炎の前で「暖」をとりました。

「今日、写真を見てもらいたいと思うて・・」と。一枚の写真は、視線がまっすぐに前に注がれ、海軍の制服を着た青年。帽子の縁には「大日本帝国海軍」と書かれてあります。「吉林さんですか!?」。「そう・・16歳の時の・・」。青年の表情から、あまりにも大きな責任を任され、そして責任を遂行しなければいけない決意が伝わってきました。

私は、しばらく言葉が見つかりませんでした。洗いざらしの白いタオルを首にひっかけて、始終、穏やかな口調で微笑みながら、話してくれました。様々な経験を乗り越えてきた、寛大な表情です。「自分の目で見た歴史の事実を、一人でも多くの人に語り伝えたい」という思いが伝わってきました。今年は65年目の終戦記念日です。「また、うどん粉を買いにくるけんな」と吉林さんは帰りました。蝉の声・高校野球・終戦記念日・・今年の夏も過ぎていきます。

9月のお休みは 4日(土曜日)、20日(敬老の日)、23日(秋分の日)
   それと日曜日です。

友人の3歳になる子どもが、巻き貝を耳に近付けています。「なにか、聞こえる!?」「うん、海の音が聞こえるよ」さ~っ!ざざ~っ!ほんと、波の音が聞こえてきました。お体 大切になさって下さい。

木下製粉株式会社会社  平成22年9月1日