2007年10月のお知らせ

一日(ついたち)・・・「はっ」と気がついて「月めくり」のカレンダーを繰りました。今年も残り3枚。「時間が流れ過ぎていく」ことを改めて感じます。日の暮れる時刻もはやくなりました。

「ナンセン難民賞」という賞を聞いたことがありますか・・・!?(私は はじめて知りました)。1954年、当時の国連難民高等弁務官、ヴァン・ハーベン博士が、難民の救済目的のために貢献した団体(個人)を称(たた)えるためにこの「賞」を創設しました。「賞」はノルウェーの動物学者・北極探検家の「ナンセン(1861年生まれ)」に由来します。

第一次大戦後、ナンセンは国際連盟のノルウェー代表となり26か国に存在した45万人の戦争捕虜の帰還に寄与しました。1921年、ナンセンは初代難民高等弁務官に任命され、民族紛争から逃れた多くの人々を支援し、難民の法的保護を確立するために、「ナンセン・パスポート」と呼ばれる旅行・身分証明書を創設しました。こういう経緯を経て、「ナンセン難民賞」は難民の救済・人道支援を目的として活動してきました。

50年以上の歴史において2006年、日本人の方がはじめてこの「ナンセン難民賞」を受賞されました。「富士メガネ会長」金井昭雄(かないあきお)さんです。タイやネパールなどで難民の視力を検査し、メガネを贈る活動を20年以上にわたって続けています。難民キャンプ訪問は20回を超えました。贈ったメガネは11万個、そしてともに活動した社員は110人になります。

例えば2006年5月に「アゼルバイジャン」(イランに国境を接します)の訪問で持ち込んだメガネは4千個。社員が手分けし加工し、出発に備えました。訪問チームは6人。5日間で1500人を検査しました。「自分ひとりでできる作業ではないのです。社員を褒めてもらいたい。現地の難民キャンプにスムーズに入ることができない時もありました。社員の安全確保に気を使い、一回一回がぎりぎりの決断です。社員の活動に感謝します。」と金井会長は言われます。

1972年、アメリカで「視力測定」を勉強していたときのこと・・・先住民移住地区へ視力検査のボランティア活動に誘われました。生活が苦しい人ばかり。「メガネを贈ると大喜びし、メガネはこんなに影響力がある」ということだけが記憶に残りました。難民支援の動機の原点はここから始まりました。「視力回復」の意義は「自立のための支援」と金井さんは言われます。

たとえば、アゼルバイジャンで教科書が読めなくなった教師がいました。老眼鏡を差しあげたら、「これなら、仕事が続けられる」と。教師がいれば、生徒が助かり、自立への支援の流れができます。連日の検査はきつい仕事ですが、「来年も来て欲しい」と頼まれると 断れない。来てよかった・・・と社員の方は口を揃えて言います。

創業者であるお父様が「世のため 人のために」と常日ごろから言われ、「困っている人がいれば、手を差し伸べる」という社風が自然と作られてきました。「世界難民の日」の会議に出席した際、金井さんは「難民支援に必要なことは・・・?」と質問され、真っ先に「優しさ」を挙げました。

10月のお休みは 8日(体育の日)、13日(土曜日)
   それと日曜日です。

数年前、リサイクルに使われるかと思いながら、両親の「老眼鏡」をメガネ店へ持って行きました。 お店の方が、「私が責任をもって スリランカの人達に贈りますからね」という言葉を思い出しました。秋の夜長・・・「ゆったり」とした時間をお過ごしください。おからだ 大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成19年10月3日