2007年3月のお知らせ

春の風が吹きはじめました。暖かく、やさしい風です。 「おいしそうな匂いに誘われて・・・」パン屋さんの扉を開けました。「いらっしゃ~い」と弾んだ声。サンドイッチ・ロールパン・ごぼうパン・バナナが添えられたデニッシュ。すべて食べたい気持ちに駆られます。

40年ぐらい前でしょうか。小学生のころ、アメリカのテレビ番組・音楽が放映されはじめました。いつのまにか、口ずさみ、いまでも心に残っている歌があります。「野に咲く花は、どこに行く・・・」 穏やかなメロディーです。「花はどこへいった」という題名のフォークソング。「ピーター・ポール アンド マリー」という2人の男性と1人の女性のグループ。1961年、ニュー・ヨークのグリニッジ・ビィレッジという芸術家たちが集まる地域にて誕生しました。マリーの長い金髪が印象的でした。1960年代のアメリカは変動の時代でした。

大学生たちは「豊かさの中の貧困・社会における不平等」に疑問を抱き、学生運動が各地に広まりました。1964年9月14日、カルフォルニア大学バークレー校は学生たちの政治活動を規制しようとしました。例えば、言論や集会の自由です。結局、大学側は学生たちの大幅な政治活動の自由を認めることになりました(この出来事は、全米の大学だけでなく、日本の学生運動にも大きな影響を与えました)。同じく1964年には、ケネディー大統領からジョンソン大統領に引き継がれ、そして全ての人々に平等の権利が与えられる「公民権法」が成立しました。1965年、トンキン湾事件をきっかけにベトナム戦争に介入していきました。「花はどこへいった」という歌は、こういう政治背景のもとで生まれました(この歌が「反戦歌」があることを知ったのは、ずいぶん後のことでした)。

このグループの一人、ポールさんが「SONG FOR MEGUMI ソング フォー めぐみ」めぐみに捧ぐ歌・・・という曲を発表しました。「めぐみ」とは拉致被害者の横田めぐみさんのことです。ポールさんは人権問題に関心が高く、日本人のプロデューサーと打ち合わせをしている際に、「拉致問題」のことを知りました。「MEGUMI めぐみが事件に巻き込まれたのは、13歳のとき・・・!!めちゃくちゃな話ですよ」と衝撃を受けました。

曲作りにあたり、手紙でご両親に幼少時のめぐみさんの様子を質問。海の向こうにいるめぐみさんを思い、帰国を願うご両親の気持ちも曲の中に織り込みました(お母様は日本海の海岸を、何度も歩きめぐみさんを探したそうです)。私はテレビのニュース番組で、めぐみさんのご両親の前で、ポールさんがこの曲を歌っている場面を見ました。ゆったりと穏やかなメロディーでした。歌ったあと、ポールさんはお母様の早紀江さんの「ひざ」をポンポンと優しくたたいていました。「だいじょうぶですよ!!心配しなくても・・」と言っているかのようでした。この曲の収益は「めぐみさん基金」に寄付されるそうです。

3月のお休みは 10日(土曜日)、21日(春分の日)
   それと日曜日です。

会社の前は、小学生の通学路になっています。ある朝、小学生が「おはよう ございます」と挨拶。私も「おはよう ございます」と挨拶。子どもたちの元気を頂いて一日がはじまりました。
「さくら」の季節。もうすこしですね。お体、大切になさって下さい。

木下製粉株式会社会社  平成19年3月1日