2006年9月のお知らせ

待ち望んでいた「雨」が降りました。讃岐ではここ1カ月近く、雨降りのお天気に恵まれていませんでした。道路も木々も「ほっ」とした空気が伝わってきます。人々からも安心した表情が感じられます。

野球評論家 村田兆治(むらたちょうじ)さん。1949年 広島県の生まれ。福山電波工高からドラフト1位で東京オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団しました。からだ全体を使って豪速球を投げ込む「まさかり投法」を完成。1990年に現役を引退するまで、604試合215勝の成績を残しました。そして現在、全国の離島を巡って野球普及活動をライフワークにしています。

現役引退後、一通の手紙が北海道・中標津(なかしべつ)から届きました。差出人は「酪農」を営む方でした。「プロで頑張ってきた村田さんの話を子どもたちに聞かせたいのです。交通費しか出せませんが・・・・。みんな楽しみにしています」・・・・・村田さんは忙しい親御さんに代わり、子どもたちに野球の魅力を伝えようと思いました。野球を知らない子どもたちにバットやボールの握り方を教え、現役さながらの140キロの豪速球を投げて見せました。どんな言葉よりも説得力があると思ったからです。
全国に、村田さんの通算勝利数(215勝)に近い数の有人離島があることを知り、「勝ち星以上の離島を巡り、次世代をになう子どもたちに野球の魅力を伝えていこう」と決心しました。単身での島巡りが始まり、これまで50以上の離島を訪ねました。27時間、フェリーに揺られてたどり着いた島もありました。村田さんの「離島」に着目する理由も明確になってきました。「離島には人々の温かさや純粋さが残っています。それは魅力です。しかし日本が発展を遂げるとき、取り残されるのはいつも離島です。社会の厳しさに直面した際、離島の魅力が発揮されません。それ故、離島から何かを発信し、島の住民たちが自分の島に誇りを持てるように、野球で貢献したいのです」。

村田さんのこだわりは「本物を見せ続ける」こと。つまり子どもたちに「夢を持ちなさい。希望を持ちなさい」と言うのならば、「自分自身も140キロの球を見せられる状態にしておく」ということです(引退後すでに16年の月日が経過して、このような状態を継続されていることは驚きです)。「体の充実があって初めて、心も若くなり、気力も保てるというのが私の考え方です。だから皆さんに、まづ筋肉痛になってほしいですね。そしてその痛みを楽しんでほしいです」と村田さんは言われます。野球教室に参加している子どもたち・・・「ずっとこの日が楽しみだった」「疑問だったボールの握り方を教えてもらった」「「来年も絶対に参加したい!!」。子どもたちは村田さんを待っています。

9月のお休みは 16日(土曜日)、18日(月曜)、19日(火曜)、23(土曜日)
それと日曜日です。19日は社内旅行です。

甲子園の夏の高校野球大会がおわりました。決勝戦では延長15回引き分け、再試合が行われました。37年前の第51回大会決勝、松山商業(愛媛県)と三沢高校(青森県)との決勝戦(延長18回)の再試合。井上投手と太田投手の力投を思い出しました。言葉では表現できない「熱い」気持ちを頂きました。夜、鈴虫の音色が聞こえるようになりました。お体 大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成18年9月1日