2006年8月のお知らせ

雨があがりました。太陽が微笑んでいます。早朝から子どもたちの元気な声が聞こえてきました。楽しみに待っていた夏休み。子どもたちが神社の境内に集まってきます。「はよ、いかなあ・・・。おくれるで!!」とお母さんと子どもの会話。眠そうな顔をしながら、「とぼとぼ」と歩いている子ども。朝の澄みきった風を切って自転車を走らせている子ども。首からつるした「ラジオ体操のカード」がゆれています。ラジオ体操の始まりです。ラジオ体操は、1928年 当時の逓信省(現在の日本郵政公社)簡易保険局が制定したのが始まりで、正式名称は国民保険体操。1925年、アメリカのメトロポリタン生命保険会社が健康増進・衛生思想の啓蒙を図るために考案し、広告として放送されていたラジオ体操を基本としました(これは世界初のラジオ体操です)。「現在のラジオ体操第1」は1951年(昭和26年)に放送が開始されました。
小学校の図書室で読んだ童話・伝記・百科事典・・・。たくさんの思い出がおありだと思います。「野口英世(のぐちひでよ)」は心に残る伝記のひとつです。野口英世は明治9年(1876年)、福島県三ツ和村(現在の猪苗代町)に生まれました。幼い頃、自宅のいろりに落ちて左手に大やけどをしました。そのとき治療をしてくれた渡部医師の姿を見て、医師を志すようになりました。1900年アメリカへわたり、ロックフェラー医学研究所に職を得ました。
1918年、まだワクチンのなかった「黄熱病」の病原菌発見のために南アメリカのエクアドルに派遣されました。当時、開通したばかりのパナマ運河周辺で、船員が黄熱病に感染する恐れがあったために、事態は急を要していました。野口は病原体を発見し、ワクチンをつくり、死亡率を10%台に下げる成果を上げました。しかし、1927年イギリス人医学者ストークスは、「野口ワクチンはアフリカでの黄熱病に効果がない」という論文を発表しました。野口はアフリカ行きを決心します。「ガーナ」の首都「アクラ」にて研究を再開しましたが、野口自身も黄熱病に感染し1928年、51歳という短い生涯を閉じました。
小泉首相は、野口の没後80年を記念して2008年に、「野口英世賞」の創設を提案しました。小泉首相はガーナの首都アクラの大学病院に残る野口英世の研究室を視察しました。「よくこの暑い土地に乗り込んで研究を続けたものだ・・・」と感動し、野口英世賞の提案を決意したそうです。アフリカの医療に貢献した研究者・医療従事者に授与されます。

8月のお休みは 14・15・16日(お盆休み)、
   それと日曜日です。

事前に営業の岡田・上枝 そして事務の者がお客様のご都合を伺います。ご不便をおかけいたしますが、どうかよろしくお願いいたします。

ハンガリー出身の数学者、ピーター・フランクルさんは大学で講義ができる程度に話せる言語は12カ国語あるそうです。フランクルさんの自著「美しくて面白い日本語」のなかで「日本語ほど難しい言語は他に見たことがない」と書かれてあります。と同時に、「日本文化の基本である日本語の良さ・面白さ・楽しさ・複雑さなどを多面的に学びましょう」とエールを送っています。夏休み・・・。楽しい思い出がたくさん作れますように・・・。暑さが続きます。お体 大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成18年8月2日