2006年6月のお知らせ

朝5時ごろ、うっすらと明るくなりはじめます(東京の方は、もっと早い時刻だと思います)。すみきった空気のなかに鳥たちの「声」。いつもより、にぎやかです。そう~、「つばめ」が来ました。どこから来たのだろう・・・・どの島で羽を休めたのだろう・・・・強い雨風には遭わなかったのだろうか・・・・と思いをめぐらせます。

今日は何年ぶり・・・何十年ぶり・・・というあたたかい出来事に出会いました。古くて使わなくなった「めがね」を眼鏡屋さんへ、リサイクルとして引き取ってくれるかどうかを尋ねました。なければ日常の生活がたちまち困ってしまう、大切な身近な「めがね」。長い間、お世話になった「めがね」を不燃物として捨てることができませんでした。眼鏡屋さんは小さな写真を見せながら言いました。「使わなくなった眼鏡をスリランカの人々へ送っているんですよ。このようにスリランカの人々は送られた眼鏡を使用しています。私たちが責任をもって、預かった眼鏡をお送りします」。予想もしなかった応えでした。何かしらあたたかい気持ちにつつまれました。眼鏡屋さんから「これは御礼の紅茶です」とプレゼントを頂きました。私は「この眼鏡はだれが使ってくれるんだろう・・・。レンズはきちんとその人の視力にあうかしら・・・。どなたが両親の老眼鏡を使ってくれるんでしょう・・・」と思いながらお店を後にしました。

以下、建築家の安藤忠雄さんの「私と環境」という新聞記事からの要約です。月に1回の粗大ごみの回収日。その物量のすさまじさと種類の多様さに驚きます。より機能的な新商品が発売されたために、買い替えられる。古いものは捨てられる。大量生産と大量消費という「悪循環」の繰り返しです。数十年前の日本では、家具・衣類などは、「親から子どもへ、兄から弟へ、家族から家族へ」と「お下がり」が当然でした。まだ使えるなら積極的に生かそうという謙虚な社会姿勢が社会常識としてありました。

時間を経た「もの」には記憶が刻まれてゆき、そして家族の歴史・物語になります。身の回りにある古く傷ついたもの・・・そのどれもがほかに替えがたい大切なものでした。「心」の豊かな時代だったと思います。日本人は急激な社会変化の中で、飽きたら「もの」を捨ててしまい、「もの」との付き合い方を忘れてしまったのでしょうか。「もの」だけではなくて、「人々」との付き合い方も忘れてしまったのでしょうか。環境問題において大切なことは、周囲の人たちとの心の交流です。未来のための環境再生は、「日常生活」の中から始まります(要約終)。

フランスを訪ねたときのこと。スーパー・マーケットでは「ビニール袋」が配られませんでした。「パン屋」さんは、うすい紙で簡単にパンを包むだけ(幼い頃、茶色の小袋に駄菓子を包んでもらったように・・・)でした。「資源は大切に使わなければ・・・」という友人の言葉が印象的でした。

ケニアのノーベル平和賞受賞者の「ワンガリ・マータイ」さんは「 Mottainai  もったいない」運動を提唱しています。この「もったいない」という言葉。日本語以外には存在しないらしい・・・です。

最近の日本人が忘れてきた「言葉・日本人の生き方」を考えさせられました。

6月のお休みは 10日(土曜日)、
   それと日曜日です。

少しずつ夏の日差しが強くなってきます。おからだを大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成18年6月2日