2005年12月のお知らせ

師走(しわす)の月が来ました。「師走」の漢字をあらためて見ると、本当に「あわただしそう・・・」です。「師走」の由来は・・・。一般には「12月」は年末で、皆忙しい。普段は走らない師匠さえも走ることから、「師走」となったとされています。また師匠は法師(お坊さん)を意味し、法師が各家で「お経」を読むために走り急ぐこととも言われています。今年一年をふり返る季節です。

11月20日、東京女子国際マラソンが行われました。テレビの画面を終始ご覧になっていた方も多いのではないでしょうか。高橋尚子選手はアテネ五輪の落選後、恩師から独立して、故障に泣いた2年間でした。「10年来の恩師である監督から独立し、監督に守ってもらえる環境から抜け出し、自己責任で走りたかった」と言います。マラソンは最も厳しく、難しいスポーツ種目の一つでしょう。年間2、3レースを走るのが精いっぱい。単調な練習を工夫し、故障する限界の直前まで自分自身を追い込んでいきます。テレビを見ていたとき、自転車で走っている人と、マラソン選手が同時に映りました。マラソン選手の速度のほうが速いのです。この状態(ペース)で42.195キロを走り続けます。信じられますか・・・。想像できない精神力と体力の持ち主です。

高橋選手を支えたのは「チームQ」のメンバーでした。トレーナー・栄養士・伴走者の3人です。手探りの毎日だったでしょう。自らを甘やかさず、一方でケガを防ぐ。紙一重の判断を自分に課し続けて、ようやくたどり着いたレースでした。トレーナーの西村さんは、「高橋選手はケガをしても普通の人にはあてはまらない。宇宙人のような人です」と言います。優勝インタビューです。「皆さんに支えられて、暗闇の中でも夢を持てました。今、悩んでいる人も、一日だけの目標でも持つことで、一歩一歩充実すると思います。」2年間のブランクを乗り越えた、たいへん「重み」のあるインタビューです。

世界では30代になってから強くなる女性ランナーは珍しくないそうです。しかし、日本ではそうした選手がなかなか育ちませんでした。マラソンは、練習でもレースでも常に限界を求められる競技だからでしょうか・・・!? 精神的に指導者にどっぷりと依存してしまう選手が多い。その点で、同じマラソンの有森祐子さんはスポーツ界に風穴をあけました。自らスポンサーをさがして自立するスタイルを切り開きました。高橋選手は今年5月に、33歳になりました。いろいろな厳しい条件の中で復活を成し遂げた高橋選手。ベテランになってなお、夢を追い続ける女性スポーツ選手は、私たちに大きな夢と大きな刺激を与えてくれました。

12月のお休みは 30、31日)、
   それと日曜日です。


今年も皆様のご協力を得て、年末・年始のお休みを頂くことができました。
事前に営業の岡田・上枝そして、事務の者がお客様のご都合を伺います。宜しくお願いいたします。
今朝は、吐く「息(いき)」が白く見えました。寒い空気のなかに、心が「ピン」とします。
お体 大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成17年12月2日