2005年11月のお知らせ

早朝、急に秋らしくなりました。6時頃はまだ薄暗い・・・。(東京あたりに住んでいらっしゃる方は、すでに明るくなっていると思います。)薄暗い、すこし「ヒンヤリ」とした空気の中から、牛乳配達の方・新聞配達の方たちの音が聞こえます。「カチャ・カチャ」と木箱の中で牛乳が揺れる音。新聞配達のバイクが、少し走っては止まる音。毎日、聞き慣れている音のなかに、安堵の気持ちを見つけます。

生け花作家、中川幸夫(なかがわゆきお)さんを知ったのは、何気なく見ていたテレビ番組の中でした。優しい表情のなかに存在する、力強さに圧倒されました。中川さんは1918年生まれ。3歳の時、怪我が原因で脊椎カリエスにかかり、永久に背骨が曲がったままの生活を送ってきました。学校も就職も思うに任せない少年時代。20代で「生け花」に出会いました。ある日、中川は「白菜」を生けました。白菜は葉脈がはっきりしていて量感もあって面白い。しかし、「華道のしきたりに反する」とされ、華道の流派を脱退しました。流派に属していないが故に、実力を発揮する場所がありませんでした。

六畳一間のお風呂もないアパート暮らしを続けながら、「花」のことを考え続けました。しかし、花は生き物。どんなにすばらしい作品であっても、花の命は短い。生きた植物を素材とする「いけばな」は、時間が限られたものであるために、中川は「花」を写真にとることで新たな生命を与えてきました。例えば数百本のカーネーションの花びらをガラスの器に密閉し、腐った花びらから「エキス」が染み出したところで、白い和紙の上にガラスの器を逆さにおきました。(写真からは、真っ赤な色が流れでています。)中川はこの作品の中で、「花が悲鳴をあげて血を流している」と表現しています。

2002年5月18日(土)午後1時、小雨降り注ぐ天候の中、新潟県十日町市の信濃川・河川敷にて「天空散華(てんくうさんげ)」というアート・プロジェクトが、いけ花作家・中川幸夫と95歳の舞踏家・大野一雄(おおのかずお)によって開催されました。16万本のチューリップの花びらを集め、ヘリコプターに積み込みます。ヘリコプターの轟音(ごうおん)の中から、16万本のチューリップの花びらが放されます。「花びら」は黒い点から、次第に「色」を得た花びらに姿を変え、雨とともに舞い落ちてきます。(椅子にすわったままの)舞踏家・大野一雄は雨空に顔を向け、「雨と花びら」を全身に受け、力強く・優しく・せつなく 「花びら」と共に舞います。夢のような一瞬の出来事に河川敷にいた人々から、溜息まじりの歓声が聞こえます。(私はこのプロジェクトをテレビで見ていました。)

中川は香川県丸亀市の出身。「焦らず、慌てず、妥協せず」に作品を作ってこられました。現在、丸亀市の猪熊源一郎美術館にて中川の個展が開催されています。私は中川幸夫さんから、「答えを出すことを焦ってはいけない」ことを学びました。テレビ番組のなかで、「おいしいよ・・・」とあんパンを食べられている優しい表情が印象的でした。

11月のお休みは 3日(文化の日)、12日(土曜日)、23日(勤労感謝の日)、
   それと日曜日です。

ある朝、配達された新聞の上に、一枚の黄色い木の「葉っぱ」がありました。「この葉っぱ、どこから来たのだろう・・・」と思いながら、一日 あたたかい気持ちで仕事をすることができました。季節の変わりめ、お体を大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成17年11月4日