2021年6月のお知らせ

5月の初め、雨降りの中から、優しくて甘い、そして、ほんのりレモンのような香りが漂ってきました。「何の香りだろう・・」と思いながら歩いていると、小さな白い花がたくさん咲いている、みかんの木に出会いました。見渡すと、至るところで「白い花」が微笑んでいます。

「修理が終わりました。今回はバッテリーも交換しましたよ」と、トラックの鍵を受け取りました。「手のひら」はオイルなどで黒くなり、安全のために働いてくれていることが伝わってきます。私は無意識に「人々の手」を見ているようです。米寿を迎える友人のお父様は小柄ですが、両手は大きい。若い頃は、塩田の仕事をされていました。現在とは異なり、「入浜式塩田」という、真夏の炎天下での仕事です。「手は、その方の人生や表情を現わしています」という言葉が心に響きます。

アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学 Johns Hopkins Universityの集計によると、世界のコロナ感染者の合計は、5月27日で約1憶6800万人と報告されています。コロナをほぼ制圧している国の一つが「台湾」で、「台湾の公衆衛生の基礎を確立したのは日本人である」という記事に驚きました。明治28年(1895年)、日本は「台湾総督府」を設置し、1945年まで日本による統治が続きました。125年前の台湾の衛生環境の意識は低く、ペスト・コレラ・チフス・赤痢が流行していました。当時の予防策としては、「裸足で歩かないこと。生水を飲まないこと」という程度だったそうです。明治31年、医師である後藤新平(1857~1929)は、日清戦争後の23万人の帰還兵の検疫を行い、国内への病原菌持ち込みを未然に防いだ功績により、台湾赴任を命じられました。

余談ですが、昭和に発行された百円紙幣の「板垣退助」が、暴漢に襲われたとき治療したのは後藤新平でした。後藤新平は台湾の風習や人々を尊重した上で、あらゆる産業の基礎を作りました。例えば、予防接種の義務化・上下水道の敷設・鉄道や河川の整備・教育の充実そして、統一貨幣を使用するために銀行を設立しました。台湾各地に設置した病院を台湾総督府が直接、管理し、台湾人子弟を対象とした医学校を創設しました。それ故、台湾では現在も「近代化の父」と呼ばれているそうです。

日本は明治時代から昭和時代戦前にかけて、日本国内に7校、外地に2校の帝国大学を設置しました。7番目に設置された台北帝国大学医学部で教鞭をとっていた曽田(そだ)長宗(たけむね)(1902~1984)は、昭和13年、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学に留学し、「公衆衛生学」を学びました。地域の人々の健康増進や保持、感染症の防止策の研究で、今まさしく、世界が直面している新型コロナウィルスの感染対策の分野です。台湾では80年前に試みられていたので驚きます。

感染数のニュースを聞くたびに、「ジョンズ・ホプキンズ大学の統計によると・・」と伝えられていた理由が解りました。ジョンズ・ホプキンズ大学は「公衆衛生学」という分野を初めて設置した大学です。いま、感染経路や防御方法を考える「公衆衛生学の専門家」の重要性が注目されます。日本人は、家に入るときは靴を脱ぐ・手洗い・お風呂・うがい・マスクなど、公衆衛生を、自然に日常生活の中に取り入れています。5月、コロナワクチンの接種が始まりました。

6月のお休みは12日(土曜日)・26日(土曜日)そして日曜日です。

今年は梅雨の季節が、はやく始まりました。楽しみにしていた「皆既月食(5月26日)」は曇り空で見えませんでした。がっかり(笑い)。おからだ 大切になさって下さい。