2015年2月のお知らせ

m201502窓ガラスから射してくる太陽の日差しのなかに、「春の色」を見つけます。気持ちも、暖かくなってきます。

平成27年1月17日、阪神大震災から20年の歳月がすぎました。記憶が薄れつつある震災の出来事・・。しかし、忘れてはいけないと思いながら、知人・友人たちから聞いた言葉を書き留めています。20年前の1月17日、私は(どういう訳か)早起きして、NHKテレビのラジオ体操の番組(5:45~)を見ていました。今もはっきりと憶えています。立っていると、下から突き上げてくる「強い振動」を、何度も感じました。長くも短くも感じられ、「はやく、静まって!」と心の中で叫んでいました。テレビの画面を見ていたので、片隅に表示されている時刻をはっきりと憶えています。「5:46」。香川県では「震度4」くらいの大きさだったと思います。この季節、夜明けは遅く、外は真っ暗でした。

後日、(兵庫県の)お客さまから一枚の葉書が届きました。(家屋がひっくり返って)「家の⦅底⦆を見たのは初めてです」と。振動の激しさが伝わってきます。伊丹市に住んでいる友人は、震災後10日間ぐらいは、いつも枕元に運動靴を置いて、眠りについたそうです。旧知の友人は、旦那様の転勤の伴い、芦屋の社宅にて震災に遭いました。「その日の朝、どんな様子だった?」。「とっさに思ったのは、玄関のドアを開ける事だったの。外に出られなくなるといけない・・と思って・・」。

彼女は横浜市に住んだ経験から、この事を学んだそうです。「それから・・?」。「まわりが、ぐるぐると回っているような感覚だった。冷蔵庫は倒れているし・・。着の身、着のままで近くの体育館に避難したんよ」。「おにぎりとお水」が配給されました。友人は、「ウェルカム」というワンちゃんと一緒でした。彼女に配られた「お水」から、「ウェルカム」に「お水」をあげましたが、複雑な想いが交錯しました。そして、彼女にとっては、「香川という故郷」があるけれど、落ち着く場所がない人々の事を考えると、また複雑な想いに駆られたそうです。

そんな状況の中で、人々がお互いに助け合っている情景を見て、彼女は「日本人って、優しい!」という想いを強くしました。彼女のご近所で、80歳の女性が一人で住んでいました。その高齢の方のお家に、「私は、〇〇に避難しています。ご心配しないでくださいね」という貼り紙を見つけました。混乱の中での、冷静な気配りの「貼り紙」に友人は感動しました。「ひとつ、とっても嬉しいことがあったの!香川県と書かれた消防車を見たとき、香川県から応援に来てくれている」と、すごく勇気づけられたそうです。

神戸市に住んでいる従兄の長男、一平くんは消防署で働いています。20年前のその日、夜勤明けで仮眠をとっているときに、震災に遭いました。それから1か月、家に帰らず勤務が続きました。一平くんから「言葉にできない、たくさんの出来事があった・・」という言葉を聞いて、私は何も言えなくなりました。後日、1995年2月号の「雪・特集 阪神大震災」という小冊子を頂きました。神戸市防災安全公社が発行している冊子です。「消防は一つ」を合言葉に、全国から442の消防本部が支援のために駆け付けました。

今朝、香川のニュースは、「災害時のペットの受け入れ態勢」を伝えています。香川県では現在、直島(高松から船で1時間の島)と三豊市(香川県の西部)のみがペットへの態勢が整っているそうです。友人が震災から学んだことは、「少しのもので、生活できる」ことです。「お料理をするには、お鍋、ひとつで十分よ!」と、淡々と、はつらつとした答えが返ってきました。

2月のお休みは、7日(土曜日)・11日(建国記念日)そして日曜日です。

近所に、「しろ」というワンちゃんがいます。12月に赤ちゃんが3匹、生まれました。いま、お庭を元気に走っています。おからだ、大切になさってください。