2010年2月のお知らせ

太陽の日差しが、窓ガラスから部屋の中へ入ってきます。あたたかい!!自然の暖かさは、気持ちまでも温かくしてくれます。
「あなたにとって、忘れられない食べ物は何ですか!? 心にのこる食べ物は何ですか!?」この問いに、私は思わず「バナナ」と答えます。うまく言葉では説明できませんが、ただ「特別な日の、美味しいもの」という強い思いはあります。絵本「雪とパイナップル」の作者、鎌田實(かまたみのる)さんが同じ思いを語られていたので、驚きました。そこでは「戦後のベビー・ブームの時代に生まれた私は、小学校の運動会・遠足など特別な日のみ、バナナを食べることができました。バナナを食べた日は、なんだかうれしくて、一日中からだの中に力がわいてくるような気がしました」と綴られています。
絵本「雪とパイナップル」は、チェルノブイリの原発事故(1986年)で「黒い雨」を浴びて亡くなった少年「アンドレイ」をめぐる実話の物語です。チェルノブイリの風下に位置するベラルーシ共和国で、アンドレイ少年は生後半年で「放射能の雨」を浴び、その10年後に「急性リンパ性白血病」を発病します。長野県諏訪中央病院の医師である鎌田實さんは、1991年夏、子供たちの治療のために現地に赴きました。再度の治療にもかかわらず2000年の夏、アンドレイ少年は逝ってしまいました。
鎌田さんはその後、アンドレイ少年の家族のことが気にかかり、アンドレイの家族を訪ねます。モスクワまで空路で10時間。夜汽車に乗って15時間、ベラルーシ共和国に入りました。そして車で3時間。アンドレイのご両親と妹さんが、アパートの外でそわそわしながら鎌田さんを待っていました。ジャムの入ったロシア紅茶を飲みながら、エレーナお母さんが話します。

「私たちは、日本のお医者さんに感謝しています。そして、忘れることのできない人がいます。日本から、移植療法の看護指導のためにきた、ヤヨイさんという看護師の方です。骨髄移植のあと、食欲のないアンドレイに、『何を食べたいの!?』と、ヤヨイさんは問いました。『・・パイナップル・・』。町はマイナス20度に凍りつき、白い世界に変わった2月。経済が崩壊して、雪と氷に囲まれた貧しい国に、パイナップルなんて無理なお願いでした。ヤヨイさんは、『パイナップルはありませんか・・?』と雪の町の中を歩きました。オーバーの襟を立てて、雪の町へ出かけていくヤヨイさんを、病院の窓ガラスから何度も見ました。日本の女性がパイナップルを探しているらしいと噂が広がり、ある日、パイナップルの缶詰がアンドレイの元に届きました。ヤヨイさんがパイナップルの缶詰を缶切りであけたとき、『プシュー』と音がしました。まるで真心・希望・命などいろんなものが飛び出したかのように思えました。パイナップルは、アンドレイにとっても、私たち家族にとっても、希望そのものでした」。

治療に専念していた鎌田さんは、パイナップルの話をよく覚えていませんでしたが、お母さんがパイナップルを探して雪の町を歩いた日本女性のことを、忘れていなかった事実に感動したそうです。保育所で働いている私の友人は、子どもたちのために、絵本「雪とパイナップル」を読んで聞かせました。小さな子どもたちにとって物語の内容は難しそうでしたが、みんな、黙って聞いていたそうです。

2月のお休みは 11日(建国記念日)、13日(土曜日)
   それと日曜日です。

「ピン」とはりつめた冷たい空気の中で、木々は空にむかって、そびえています。着々と「春の季節」の準備をしているみたいです。おからだ、大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成20年2月1日