2004年11月のお知らせ

夏のある日、車を運転しながらラジオに耳を傾けていました。アナウンサーの方がおっしゃっていました。「今年の夏は とくに暑いですね。豊臣秀吉の時代から歴史的に、申(さる)の年は異常気象の日々が多いそうです。そして、申の年に収穫された梅を食べると、健康に良いと言われています。和歌山県紀州の梅は、例年より多くの注文があるそうですよ・・・」

ここ1カ月、誰もが想像しなかったニュースが日本中を駆けめぐりました。台風による高潮被害と浸水。新潟県中越地震。被害に会われた方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

「勇気と元気」を頂けるニュースが飛び込んできました。地震によるがけ崩れで生き埋めになって92時間後、車と岩とのわずかな隙間から、皆川優太くん(2歳)が奇跡的に救出されました。東京消防庁の「ハイパー・レスキュー隊」は、「悲惨で危険な現場だった」と言います。現場へ到着してから5時間後、信じられないような「奇跡」に気づきました。

呼びかけを実施していたところ、わずかな声が聞こえたのです。私ひとり(巻田隊長)が最初に聞いたのですが、耳を疑う状況でした。5人がひとりずつ、交互に呼びかけを行い、それぞれ、小さな呼吸音のような音を聞きました。その声を聞いたとき、「絶対に助ける、絶対に」と思いました。1999年、台湾の地震に派遣されたときの苦い記憶が巻田隊長の脳裏をよぎりました。「14階建てのビルが隣のビルにもたれている状態で、16歳の子どもの救出にあたっていました。しかし、途中でビルがグラグラと揺れてきて・・・。結局、その子どもを救出することができませんでした」

少し岩を動かしただけで全体が崩落する危険があったために、「ひと握りの砂も落とさないように」細心の注意を払いました。車の裏側にあった、直径20センチほどの穴から、ライト・カメラを照らしましたが、優太くんは見えませんでした。すこしずつ土砂を取り除いていき、優太くんの手が確認でき、そして手が動いていることが確認できました。優太くんが立っているのが確認できました。呼びかけをしましたが、優太くんは震えていて、立っているのが精一杯。声はだせなかった・・・。田端隊員が穴の中に入りました。優太くんに手が届きました・・・。優太くんは放心状態で呼びかけに応えることができませんでした。穴の開口部に向いて、優太くんを受け渡しました。「2歳の小さい体でしたが、命の重さを感じました。身震いして、鳥肌がたったのをよく覚えています。4日間という長期にわたり、狭い、暗いところでよく頑張ったな・・・」と思います。大川隊員は手足が冷えきった、震えている優太くんの体を支えました。私はテレビを見つめながら、命の尊さを感じた一瞬でした。

11月のお休みは 3日(文化の日)・13日(土曜日)・23日(勤労感謝の日)
それと日曜日です。

季節の変わり目です。どうかおからだ大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成16年11月3日