2003年9月のお知らせ

お盆のお休みは、ゆっくり 過ごされましたでしょうか。思いがけずに、涼しい日々でした。

8月15日は終戦記念日。その出来事を語る人々が、年々 少なくなってきました。 「語るには若すぎますが・・・」と前置きして、古希を越えた各界の先輩たちが語ります。

宮城まり子さんは、1927年(昭和2年)の生まれ。終戦当時、長崎県佐世保市に住んでいました。長崎から真っ黒になって戻ってきた父は、私にバケツを持たせ、佐世保駅に連れていきました。長崎から汽車が着くたび、顔をパンパンに腫らした被爆者たちがホームにあふれ、「水! 水!」と叫びます。必死でバケツにくみ、手ですくって何度も差し上げました。こわかったけれど、苦しんでいる人がいて、自分が元気ならお手伝いするのは当たり前と心に焼きつけました。

「ねむの木学園」の原点は、昭和20年、長崎の原爆投下です。1968年(昭和43年)、静岡県浜岡町に園児12人、職員7人でスタートしました。小学・中学部の養護学校です。現在、児童・生徒56人、高齢者22人が入所し、96人の職員とその家族たちが暮らしています。1974年、オランダの身体障害者の村、ヘット・ドルプを訪ねたとき、20万平米の敷地に400人あまりの共同体ができていて、障害者が仕事をしながら暮らし、近隣の住民も村の郵便局やスーパーを気軽に利用していました。「ねむの木」の子どもたちが大人になったときに暮らす街のイメージにつながりました。

私は「福祉」という言葉が好きではありません。「福祉」と書いて「おもいやり」と読み方をふります。5歳で「ねむの木」に入園して、現在25歳のツトム君。脳性麻痺で、入園したときは泣くことを知らず、どうやって泣かせようかと心配した子どもでした。最近、彼に「社会人になるってどういうこと」と聞きました。彼はゆっくり言葉を探しながら答えました。「自分の仕事に自身と責任をもてるようになること」。・・・・
私の人生の最高のパートナー 吉行淳之助さんに、きびしくてやさしい三つの約束をさせられました。「愚痴をこぼさないこと」「お金がないと言わないこと」「けっして放り出さないこと」。
彼の言葉は、つらいとき、行き詰まったとき 私を支えてくれた宝物でした。

9月のお休みは 6日(第2土曜日)、15日(敬老の日)、23日(秋分の日)
それと日曜日です。

火星は地球の「兄弟」。太陽系で、地球のすぐ外側を回る惑星です。地球は365日で、火星は687日で太陽を一周します。地球の軌道はほぼ円なのに対し、火星はやや楕円形です。8月27日に6万年ぶりに大接近しました。日付が変わるころ、南東の空を見れば、すぐ見つかるそうです。キラリと赤く輝いています。10月までよく見えるそうです。

夜、コオロギの大合唱が聞かれるようになりました。心が落ち着く ひとときです。
お体 大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成15年9月1日