2021年11月のお知らせ

今年の秋は、静かに「時間」が過ぎていきます。秋祭りの「お獅子の練習の鐘の音」が、夕暮れの静寂の中から聞こえてこないからです。秋祭りの後に行われる「お神楽」も中止になりました(がっかりです)。

久しぶりに、ショッピング・モールに出かけると、「想い出横丁」という出店に心が奪われました。覚えていますか?ビー玉の入った「ラムネ」飲料。紺色の箱にはいった「ココア シガレット」という商品名で、「たばこ」の形をした砂糖菓子。幼い子供たちは、大人がタバコを吹かしている姿を真似ていました(笑い)。

皆様にとって、思い出に残る「食べ物」は何でしょうか?幼いころ、神社の境内で見た「紙芝居」のおじさんから買った駄菓子。おじさんは自転車の荷台に、引き出し付きの「木箱」を備え付け、駄菓子を詰めていました。木箱の上に木枠で作られた「紙芝居の小さな劇場」。子どもたちは、駄菓子を食べながら「紙芝居」を見ます。もちろん、立ったままですよ(笑い)。お気に入りは、割りばし2本で「くるくる」と回しながら食べる「水あめ」。「型抜き菓子」と呼ばれる薄い干菓子(ひがし)を「型」どおりに切り抜くと、「おまけ」を頂けるというものでした。これは難しくて、すぐに干菓子は割れてしまいました。紙芝居の物語の内容は覚えていませんが、「どんどん」と響く太鼓の音、拍子木の「カチカチ」という音に、幼い私の心は「どきどき」しました。数人の「声」を使い分ける、おじさんの「語り声」を覚えています。

「街頭紙芝居」は1930年に誕生し、1950年代、全国に数万人に及ぶ「街頭紙芝居師」が活躍していたそうです。子どもたちに正しい道徳観を教えるために、「紙芝居業者免許証」という制度のもとで普及しました。しかし、テレビやマンガの普及につれて衰退。木綿の白い帽子をかぶった「紙芝居のおじさん」も、いつの間にか見かけなくなりました。日本の漫画界の草分けである「ゲゲゲの鬼太郎」作者の「水木しげる」や「カムイ伝」作者の「白戸三平」たちは若いころ、紙芝居の制作に携わっていたそうです。劇作家の「寺山修二」や「唐 十郎」は紙芝居から、「人生の楽しさと悲哀を感じた」と記されています。

先日、集荷に来られた方と「宇高(うこう)連絡船うどん」のことが話題になりました。1910年(明治43年)、香川県の高松と岡山県の宇野(うの)を結ぶ宇高連絡船が開通しました。旅客と貨物を運ぶ約1時間の船旅です。宇野行の連絡船は、「どこか遠いところへ行く」という気持ちに駆られ、高松行きの連絡船に乗ると、「讃岐に帰ってきた」という安堵感がありました。多くの人たちは、船のデッキで頂く「おうどん」を楽しみにしていました(当時、「讃岐うどん」の知名度は全国に知られていません)。うどんを注文して、丼🍜を持ち、甲板(かんぱん)の椅子に座り、潮風を感じながら「おうどん」を頂きます。「カモメが、うどんを欲しそうに近づいてくるんや。うどんの切れっぱしをあげたんよ」という会話を度々、聞きました。カモメも「讃岐うどん🍜」が好きです。想い出の食べ物を頂いた時の「情景と味覚」は、いつまでも心に残っています。

11月3日(文化の日)、11月13日(土曜日)・11月20日(土曜日)23日(勤労感謝の日)そして日曜日、お休みを頂きます。

銀杏(いちょう)の葉っぱが、色づいてきました。奈良県生駒郡には、「竜田姫」という「日本の秋の女神」さまの言い伝えがあります。竜田姫が衣の袖を少しずつ振ると、木々の葉が少しずつ紅くなります。素敵なお話ですね。おからだ、大切になさって下さい。