2021年9月のお知らせ

8月8日、東京オリンピックが、幕を閉じました。どのような場面が印象に残っていますか?競技のみならず、選手たちの「精神力のすばらしさ」を気づかせてくれた大会でした。紀元前450年頃、ギリシャは、北東部の町マラトンに上陸したペルシャ(現在のイラン地方)軍を撃退しました。

一人のギリシャ戦士が「勝利の報告」を伝えるために、マラトンからアテネの街まで40kmの道のりを走ります。この故事により、「マラソン」という競技が考案されたそうです。マラソンの距離が42.195kmに決められたのは、1908年のロンドン大会からです。「なぜ、42.195kmでしょうか?」。いつも、疑問に思っていました(笑い)。当時のイギリスのアレキサンドラ王妃が、「スタートは宮殿から見たい。ゴールは競技場のロイヤル席の前でみたい」という希望があり、42.195kmに決められたとも言われています。本当でしょうか?(笑い)

最終日に行われた「男子マラソン」は、優勝したケニヤのキプチョゲ選手を追って、3人の選手がゴール直前までメダルを争って走りました。スパートをかけ、2番手に浮上したオランダのナゲーエ選手は必死に走りながら、後ろを振り向きます。そして右手で、ベルギーのアブティ選手に「来い!来い!」というような仕草を見せると、引き込まれるようにアブティ選手は3位に上がりました。なぜ、ナゲーエ選手は緊張に包まれたゴール直前に、そのような合図を示したのでしょうか。増田明美さんの解説を聞きながら、謎が解けました。

アフリカ大陸、北東部、紅海とインド洋に面した「牛の角」のような形をした国がソマリアです。1991年以来、内戦状態が続き、畜産業やバナナが主な輸出品目ですが、度重なる内戦と干ばつにより不安定な社会生活が続いています。このような状況のもとで、ナゲーエ選手とアブティ選手は幼少のころ、ソマリアからヨーロッパへ難民として移住しました。「ゴール前の800メートル、アブティの足がつっていると分かっていた。だから、彼を励まし続けた」と、ナゲーエ選手は言いました。2人は同じソマリア出身で、同い年の練習パートーナーです。ナゲーエ選手は銀メダルに、アブティ選手は銅メダルに輝き、4位の選手との差はわずか2秒でした。ゴールに向かって走ってくる選手たちの表情を見ながら、「全員がそれぞれの物語を心に秘めて、走っている」という想いを強くしました。

2016年のブラジルの「リオデジャネイロ大会」にて初めて「難民選手団」が結成されました。東京オリンピックでは29選手が難民選手団として参加しました。8月24日から東京パラリンピックが始まり、25日に「競泳の女子100メートル背泳ぎ」を見ました。選手たちはプール・サイドまで車椅子で移動し、支えられながらプールに入ります。14歳の山田美幸選手は脚力だけで泳ぎます。3kgほどの四角いプールの排水溝の「ふた」の重りを、体にくくりつけて練習したそうです。選手たちの泳ぐ姿はダイナミックで、「イルカ」のようです。たくさんの勇気を頂きました。山田選手の「おおらかで、穏やかな」表情が素敵です。「美幸ちゃんの笑顔、かわいいね」と友人からメールが届きました。

9月4日(土曜日)、9月11日(土曜日)、9月20日(敬老の日)、9月23日(秋分の日) 10月9日(土曜日)、10月23日(土曜日)そして日曜日、お休みを頂きます。

8月末、蝉たちの鳴き声が、静かになりました。強い日差しの中で、かすかな涼しい風を感じます。おからだ 大切になさって下さい。