2021年4月のお知らせ

「春分の日」の翌朝、香川は白い「霧」に包まれました。まるで「牛乳瓶」の中に「すっぽり」と入ったみたいです。黄色い菜の花・白い水仙・あわいピンク色の桜の蕾(つぼみ)。白い霧の中で、優しく微笑んでいます。

2011年3月11日の東日本大震災から、10年の月日が過ぎました。人々の生活は落ち着いたのでしょうか。岩手県大槌町に住んでおられる山本和子さんの母子手帳には、今も黄色いキャラメルの「包み紙」がはさまっています。長さ7cm, 幅2.5cmの包み紙の中身は、「空」です。「通りすぎたのに戻ってきて、子供にキャラメルをくれた。ありがとう」という「メモ書き」と一緒に。大阪府八尾市から援助に来ていた消防士の方が、当時3歳だった息子の悠稀君に差し出した「キャラメル」です。

「お母さんを助けて、がんばりや」と悠稀君の頭に「そっ」とふれ、消防士の方は立ち去りました。小学5年生に成長した悠稀君は、「八尾市の消防士さんからキャラメルを頂き、『ありがとう』を伝えることができませんでした」と作文を書き、地元の大槌新聞に掲載されました。そして、記者の調べにより、お母さんと悠稀君は、服部消防士に「ありがとう」を伝えることができました。一つの小さな「キャラメル」が、母子の気持ちを支え続けたお話です。

韓国出身の「南(ナム) 景元(キョンウォン)」さんは日本社会事業大学にて「ソーシャル・ワーカー」を学んでいたとき、東日本大震災を経験しました。以来、小中学生と対話する日々。「様々な支援者に慣れていますが『変な外国人』として面白がられました(笑)」。震災の衝撃がよみがえり、落ち着きがなくなる子供。不登校の子供。震災後、10年目になってやっと、親を亡くした気持ちを打ち明けてくれる「子供」もいるそうです。大槌町の方たちからは永住を勧められています(南さんが「大槌町にいて」よかった♡)。

作家の柳(ゆう) 美里(みり)さんは震災の翌年(2012年)3月から、福島県南相馬市の臨時災害放送局で「柳美里のふたりとひとり」というラジオ番組を始めました。週1回、30分の番組で、柳さんが地元に縁(ゆかり)のある方2人に、お話を聞きます。「2011年3月11日、あなたはどこで何をしていましたか?」。「長くて1年」と思っていた番組は6年間続き、600人の方たちの体験を聞きました。震災当日について、ひとつの「言葉」さえ表現できなかった人もいました。

ラジオのおかげで、「声の響き」による600人の体験が柳さんの中に、地層のように重なりあっているそうです。2020年11月、嬉しいニュースが届きました。アメリカの「全米図書賞」の翻訳文学部門にて、柳さんの「JR上野駅公園口」が選ばれました。高度成長期に、福島出身の主人公が東京へ移り、ホームレスとなる物語です。震災以降、柳さんは人々の声に耳を傾けながら、小説を書くようになったそうです。福島の自宅で「カフェ」を営みながら、地元の人たちの声を聴きます。

ある高齢の方は畑で抜いた大根やブロッコリーを新聞紙にくるんで差し入れ。(受賞を聞いて)「昨日はうれしぐで 泣いじまったわ(福島の言葉)」。翻訳者のモーガン・ジャイルズMorgan Gilesさんは13歳のとき、姉妹都市である山梨県を訪ねました。日本語との出会いでした。柳さんの「深く 澄んでいる」文体に恋して、「翻訳したい」と直接、柳さんにお願いしました。たくさんの想いが込められている、小説「JR上野駅公園口」です。

4月のお休みは、4月17日(土曜日)と4月29日(昭和の日)と日曜日です。
5月のお休みは、3日・4日・5日と22日(土曜日)と日曜日です。

去年の春以来、様々な制約と向かいながら、時間を過ごしてきました。蝉の鳴き声でいっぱいの夏日ごとに木々の色が紅葉していく秋冬の寒い空気の中で、心を暖かくしてくれた豆電球。今年も桜の優しいピンク色に、気持ちが和んできます。おからだ、大切になさって下さい。