2017年5月のお知らせ

m201705卯月の中旬、あたたかい風とともに、桜の花びらが空に舞いはじめました。そして、淡いピンク色の水玉模様が地面に描かれています。心地よい風に変わっていることに気づきました。

日帰りで東京を訪ねました。数日前から、「久しぶりの東京。なんか、わくわく・・する感じ・・小学校の遠足みたいね」と友人からのメール(笑い・・)。限られた時間の中で、「根津ねづ美術館」を訪ねました。国内の鉄道敷設や再建事業に携わり、「鉄道王」と呼ばれた根津ねづ嘉一郎かいちろう(1860 – 1940)は日本・東洋の古美術品や茶道具を収集しました。日本庭園と茶室が点在する根津美術館は、嘉一郎の遺志により1941年(昭和16年)、東京の南青山に開館しました。中学校の美術の教科書で紹介された尾形おがた光琳こうりん筆の「燕子花図かきつばたず屏風びょうぶ」は、背景に金箔が貼られ、青色と緑色の2色のみで描かれています。シンプルで凛としている屏風絵は根津美術館に所蔵され、燕子花が咲く4月から5月にかけて公開されます。

尾形光琳(1658 – 1716)は京都の呉服商「かり金屋がねや」の当主、尾形宗おがたそうけんの次男として生まれました。遺産で遊び、使い果たした40代になって仕方なく画家を志しました(意外でした)。ほとんどの燕子花が同じように描かれている「燕子花図屏風」は染物で使う「型紙」の技法を応用しているそうです。呉服屋に生まれ日常生活の中で、絵画・染物・工芸などの知識や感性がはぐくまれました。江戸時代において、「デザイン的な要素」を取り入れたことは画期的なことでした。金箔は年月とともに、少しずつはがれます。光琳は金箔の剥がれた「線」が垂直になるように、金箔を貼ったそうです。単純化された構図の中に繊細さが存在しています。

「屏風って、何をするため・・?」という質問に戸惑いました。「??」。部屋の仕切りとして、装飾として使われたのが始まりだそうです。庭園内は濃いピンク色の「しだれ桜」が満開でした。池に住んでいる「かめ」たちも春の陽気を楽しんでいるようです。初めて「日本の桜の季節」を過ごしたフランスの友人が、(スマホから)ひとつの写真を見せてくれました。小学生たちが「手のひら」を囲んで、何かを見ています。拡大すると、手のひらに小さな「かめ」がいます。「かめを何処に返せば、安全なのか・・」と話しているようです。友人は、子どもたちのあたたかい心と眼差しに、たいへん感動していました。

帰り道、タクシーの運転手さんとの会話です。「東京は、やはり人も自動車も多いですね」。「そう・・そう・・昼夜を問わず、人々で溢れていますよ。私、何歳だと思います?」。「?・・」。「80歳です!」。私は思わず「すばらしい!!」と叫んでいました。「年金を頂いているので、1週間に2日間、働きます。東京でも、讃岐うどんのお店が多くなりましたよ。お休みには讃岐うどんを食べに行きます。少し、待ちますけれど・・笑い・・」。活気で溢れる「東京の街」を感じながら、異なった視点から、魅力的な讃岐(香川)にしたいという想いを強くしました。讃岐は時間が穏やかに流れ、瀬戸内海や山々の自然に恵まれています。週末には、瀬戸大橋のイルミネーションが点灯されます。素敵ですよ!

5月のお休みは、3日・4日・5日・20日(土曜日)そして日曜日です。

月20日は二十四節季のひとつ、「穀雨(こくう)」でした。春の雨が穀物を潤すことから名づけられました。冬服やストーブを片付ける季節です。変わりやすい春の季節も、この頃から安定し始め、日差しも強くなります。穀雨は、種まきの時期とし、農作業の目安にされているそうです。おからだ、大切になさって下さい。