2015年10月のお知らせ

m201510私たちの会社は、高松市と坂出市の間にある「五色(ごしき)(だい)」という山の麓に位置します。交通量が少なく、自然に恵まれ、そして緩い勾配の地形を利用して、サイクリストたちが心地よい「初秋の風」を楽しんでいます。

瀬戸内海には、「三つの橋」が本州と四国を結んでいます。(坂出市と岡山県児島を結ぶ)瀬戸大橋、(徳島県と兵庫県を結ぶ)大鳴門橋と明石海峡大橋、そして(愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶ)「しまなみ海道」。

8月、社内旅行で「しまなみ海道」に点在する史跡・美術館を訪ねました。「しまなみ海道」は、今治市側から大島おおしま伯方はかたじま・大三島・くち島・因島いんのしまなど9つの島々を10の橋で結んでいます。自動車はもちろんのこと、原付・自転車・歩行者も通行できます。穏やかな瀬戸内海を眺めながら、生まれ育った私ですが、讃岐の瀬戸内海よりも、もっと穏やかに感じます。大島にある「村上むらかみ水軍すいぐん博物館」を見学しました。「海賊」という言葉を聞いて、どんな事を連想しますか!? 人形劇「ひょっこり ひょうたん島」の「トラヒゲ」役の海賊、スカーフを頭に巻いて、片目を黒いパッチで隠している、すこし怖そうなイメージ(笑い・・)。

「海賊」とは海上戦力に優れた武力集団で、航行する船の安全を保障する目的で、縄張りを航行する船から、「べちせん」と呼ばれる通行料を徴収していました。そして、戦国時代(15世紀~16世紀)になると、戦国大名のもとで軍事力を発揮するようになりました。「水軍すいぐん」という呼び方は、江戸時代以降に使われたそうです。

「村上氏」は南北朝~戦国時代にかけて活躍した一族です。大島に隠れるように、ひっそりと位置する小さな能島のしま、そして来島くるしま・因島を拠点とした3家は、「三島さんとう村上氏」と呼ばれ、瀬戸内海を支配していました。村上氏一族の最盛期を築いたと言われるのが、能島村上家5代目当主の村上武吉です。実際、能島を眼下に見ると、本当に小さい。周囲720m。なぜ、日本一の海賊が、こんな小さな能島を城塞として選んだのでしょう!?

多数の島々が存在するこの海域では、陸と陸との間が狭く、複雑に入り組んだ地形は、潮の満ち引きにより、複雑な潮の流れを生み出すそうです(本来、瀬戸内海の「瀬戸」とは、「狭門せと」を意味しました)。土地勘がある者のみが、海を支配できました。能島は小さくても、周囲の「海の潮流」が城塞の役目を果たした訳です。現在、能島は無人島ですが、島の周囲の岩場には460個の柱穴があり、「水軍城」の名残りを垣間見ることができます。1588年、豊臣秀吉の「海賊禁止令」の発布により、海賊は歴史上から姿を消します。穏やかな「瀬戸内の浜辺」を眺めながら、500年前の海賊たちの情景を想像した午後でした。

楽しみにしていた夕食は、バイキング料理です。余談ですが、「好きなだけ、取り分けて食べられる」というバイキング料理は、1958年に公開されたアメリカの海賊映画、「バイキング」に由来する和製英語だそうです。人気メニューは「水軍すいぐんなべ」。瀬戸内の魚介類・お野菜がたっぷりと、煮込まれています。村上水軍が出陣する際、必勝祈願と士気向上のために食べられました。特に「八方の敵を喰う」という意味合いから、たこは必ず入れたそうです。酒盛りの後、麦飯を入れ、雑炊で締めくくるのが水軍流です。誰かが言いました。「お鍋の締めに、おうどんが入ってたら、ええな~」。私たちは、やはり讃岐人です。瀬戸内の「海の幸」を再認識した夕食でした。浜辺へ「海ほたる」の観察に出かけます。来月にお話しいたします。

10月のお休みは、12日(体育の日)・24日(土曜日)そして日曜日です。

素敵な格言に出逢いました。無声映画時代から活躍していたアメリカの男優、ジョン・バリモア John Barrymore(1882-1942)が残した言葉。「幸せはたいてい、あなたが開けたままにしていたことを知らずにいた扉から、こっそりと入ってくる」。何気ない日常生活に、「ぽっ」と月の光が差し込んでくるような言葉でした。おからだ、大切になさって下さい。