2014年2月のお知らせ

m2014021月中旬、「寒波」が日本中を駆けめぐりました。薄暗い夕方、降りしきる雨の中を、高校生らしき男子学生が家路へと、自転車を走らせています。風邪をひかなければよいのですが・・。
新聞・雑誌から、「能(のう)」の特集を目にしますが、興味の糸口を見つけられないまま、今日に至りました。友人から、「能の魅力」と題する講演が坂出市民美術館で開かれるから・・との誘い。不安と「新しい世界が広がるかもしれない」という想いが交錯していました。講師は河村(かわむら)晴(はる)久(ひさ)さん。凛とした袴姿に日常と異なった空間に包まれました。「能」は、奈良時代に中国から伝わった散楽(さんがく)(物まね・曲芸・奇術などの大衆芸能)を源とします。宮中や貴族の儀式にて演じられる雅楽と異なり、寺社の余興として庶民の間に広まりました。そして平安時代に猿楽(さるがく)と名称を変えました。

観阿弥(1333-1384)・世阿弥の父子は、室町幕府三代将軍、足利義満の擁護のもとで今日の「能」の原型を完成しました。講演は和やかで、質疑応答の時間は笑いに包まれました。「能舞台の背景はいつも、松の木が描かれていますが、何か意味があるのでしょうか?」。(松が描かれている板を鏡板(かがみいた)と言います)。「はい、描かれる老松は、一本と決まっています。古来から老松は、神の宿る依り代(よりしろ)として奉られてきました。能舞台に松を描くのは、神聖な場所であるという事と、自然な姿の象徴であることを意味しています」。

後日、「能」に関する本を見ていて、気づいたことがあります。能楽堂での公開講座の場で、講師の方たちは洋服姿に「白足袋」で登場しています。能舞台を製作・修理する宮大工さんも白足袋を履いています。今度は、講師の河村さんが質問します。「屋内にある能舞台は、屋根がついています。屋内で、屋根がついている場所で行われる伝統芸能が、もう一つあります。何でしょう?」。誰かが答えます。「相撲です!」。「そうです。でも、相撲の土俵は屋根だけがぶらさがっていますが、能舞台は柱によって支えられています。この柱は大切な理由があります。役者のシテ(主役)は、能面をつけて舞います。能面をつけると、視野が狭くなるので、柱の位置により舞台の位置を確認します。舞台から、足を外す出来事もあります」とユーモアを交えながら説明してくれます。

「友人は、北海道で能面を打つ(彫る)仕事をしています。室町時代に打たれた能面とは、異なるのでしょうか?」。「大変、異なります。なぜならば、室町時代は貧しく、物資が乏しい時代でした。それ故、面打ち師は創意工夫をしながら作成しました。優れた能面は、内面をすべて表わします。面打ち師の精神や魂が、どこまで入っているのか、打つ人の生き方が表れています。私自身、父親の世代と異なり、すべて環境が整ったもとで「能」の手ほどきを父親から受けました。自分に厳しくなければ、人に伝えることはできません」。

能「屋島(やしま) 弓流(ゆみながし)」を謡ってくれました。正面方向に、真っ直ぐに響く、重厚な謡いを聴き、「人間ってすばらしい」の一言でした。「能は人間の心を描きます。それが能の存在理由あり、600年の時を経た現在も、古く感じられません。能は引き算の美です。能は簡素な美です」。講演の最後に「言葉は文化を背負っています。感性を磨いて、心を豊かにすると、いろんなものが見えてきますよ」っと、私たちに語ってくれました。京都に能舞台を観に行きましょう・・と友人と約束。お正月の清々しい空気が残る、素敵な日曜日でした。

2月のお休みは、11日(建国記念日)・22日(土曜日)そして日曜日です。

今朝は、寒い朝でした。息が「白く」見えます。昨夜からの雨で、地面もすこし凍っています。道の片隅に、小さな、紫色の「すみれ」の花に霜が降りています。寒さに、じっと耐えているようです。おからだ、大切になさって下さい。