2004年6月のお知らせ

梅雨の季節にはいりました。そろそろ「田畑」には田植えのために水がはいります。地球は1日に1回自転しながら、1年で太陽の周りを1周します。その軌道に対して、地球の自転軸は23.4度傾いているために、6月から北半球は太陽の方へ傾き夏の季節を迎え、南半球は冬の季節を迎えます(12月から南半球は太陽の方へ傾き、夏の季節を迎えます。)この時期、南極は太陽と最も離れ、地球が1回転しても太陽は水平線の下に隠れたままになります。正確には5月31日より、南極は太陽が昇らない「極夜-きょくや」に入ります。

 世界の多くの冒険家たちが、南極大陸に挑戦しました。先陣を争い、1911年12月14日にノルウエーのアムンゼン隊が、そして1912年1月17日にイギリスのスコット隊が、南極の極地点に到達しました。しかしイギリスのスコット隊はその帰り道に全員遭難。大氷原に尊い生命を失ってしまいました。日本の南極探検隊、白瀬中尉は同士27名と共にわずか204トンの木造船「開南丸」に乗って、東京芝浦を出帆しました。1910年11月29日のことでした。南極大陸に上陸したのは翌々年のことでした。南緯80度まで進み、その氷原を大和雪原(やまとゆきはら)と命名。日章旗をたてました。1956年南極昭和基地の建設とともに、第1次観測隊が派遣されました。氷に阻まれて、昭和基地は一時閉鎖されたこともありましたが、1959年 派遣を再開したとき、カラフト犬の「タロー」と「ジロー」が生きていたニュースは日本を沸かせました。

 今年3月、日本と昭和基地は初めてインターネットで結ばれました。基地に立つ直径8メートルのおわん型衛星通信アンテナのおかげです。通信技術者 安彦誠一(あびこせいいち)さんは基礎のコンクリート打ちを手始めに、部品計50トンの組み立ての責任者です。第45次観測隊員が総出で手伝いました。全員素人でしたが、チーム・ワークで予定工期の3カ月の半分で完成しました。写真・原稿を瞬時で送ることができるようになりました。「みんなで建てたアンテナで、南極から夢を届けたい」とおっしゃっています。1965年 第7次観測隊に同行した朝日新聞の記者柴田鉄治さんは、当時をふりかえります。「写真1枚を送るのに5分を要し、原稿はすべてカタカナで書き、トンツーと呼ばれるモールス信号で打電しました。南極からの鮮明なカラー写真を見ていると、羨ましく思う反面、地球の裏側という距離にふさわしいロマンが減ったようにも思います。」と・・・・。南極にて、太陽が再び顔を見せてくれるのは7月13日だそうです。

6月のお休みは 12日(土曜日)、
   それと日曜日です。

冬の季節を迎える南極。零下20度近くになるそうです。日本にいる私たちからは想像できませんね。雄大な自然に心がすこしゆったりとしてきました。季節の変わり目です。おからだ 大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成16年6月2日